下田葵学園の皆様へ
              ◎平成17年2月1日(火) 13:00〜16:00

         依田勉三翁を語る 

                                           松  本  晴  雄

         ◎とことん健康に生きて、すこし臥せって、あっさり死ぬ=清見潟大学(清水)

      ◎ひとは、少し難しい課題に立ち向かうことで、高齢化しても脳はいつまでも
       発達する。
 

      はじめに
        @ ネット利用と、ホームページ開設を
           マイコン(PC)と聞くと毛嫌いするが、老齢化した地方が都会と平等になれる早道
           やがて使い勝手のよい製品が出てくるであろう。
        A 自分史のすすめ
           自己の人生を見つめ、何を次世に伝えるか。犬死にしないために。
           PCを利用すれば安価、製本して立派な本が出来る。

   @ 自己紹介  HP 「ようこそわが囲炉裏端へ」気軽に心集うページを目指して

   A なぜ人物研究をするか(温故知新)=未来を見つめ、自己を広げる道
          (歴史は確定されたものではない。自分なりに探索して確定)
         (いま地方最大の危機、あと10年伊豆は存続出来るか。意識の目覚めに期待する)

      A.伊豆人の性質(原秀三郎先生の受け売り)
 
      B.松崎町が多く偉人を出すのはなぜ? 永岡治先生の「群像いず」参照
             ◎一族の結束(大屋制度)

   B 依田勉三って、どんなひと
            
            ライフワーク=私と勉三翁との出会い=
            A.昭和45年度県芸術祭戯曲部門「開墾の始めは豚と一つ鍋」が佳作入選
            B.前記により勉三研究第一人者・萩原実先生と知り合い、交流して資料を得る
            C.「読んで覚えられるは天才、何回も書いて覚えろ」須田昌平先生。「風吹け、波たて」2,600枚

       
A.略歴年表 慶応義塾入退学、ワッデル塾入門

       B.生い立ち 
心身とも弱い劣等感のひと? 身長155aで小柄。
          ◎嘉永6年黒船到来の年生まれ。◎父母、師三余を少年期に亡くす。7歳上の兄が親代わり。
          ◎教育=三余塾、沼津説(共慣義塾、沼津は兵学校など教育水準が高い)。謹申学舎(元会津藩家
           老・西郷頼母塾長)。慶應義塾(福沢諭吉の感化)。英人牧師・ワッデル塾(
語学修業)。報徳
          思想普及の地(二宮尊徳)


       C.十勝開拓への使命感
 開拓に成功して所有地となる方式、有言実行のひと、研究熱心、
               ◎諭吉の食糧欠乏論、ケプロン報文(黒田清隆がアメリカより招請)。報徳思想を軸とする。
               ◎3幹部(勉三・渡辺勝・鈴木銃太郎)。鈴木親長・渡辺カネ・弟文三郎
               ◎十勝有望論に出合う。田内・内田=天草民200戸入植説。
               ◎株主・移民募集
               ◎帯広・農業オンリーでなく、生花苗、大津、キスケ(日高)、函館、当別(函館対岸)、七重畜産且ミ長。
               ◎漁業、畜産(豚・牛・馬=軍馬・競馬、酪農=バター、ミルク、)、林業(植林・椎茸・木炭)、澱粉、製材、
                麻植栽・製糸工場、金山、炭坑、屠殺・精肉販売業=函館、缶詰製造など多岐。副業として藺草生産と
                編み笠蓑・畳表)
               ◎東京での搾乳・缶詰、伊豆大島へ研究者派遣、自ら旅途の視察は勿論、札幌・岩手・長野の山中
                まで足を運んで情報を得る。帯広測候所に土地提供、のち農事試験場となる。
               ◎殖産、教育、道路、神社、道路、晩年=十勝港(生花苗沼の開削)に尽力。

           D.苦難の道 株主、移民団募集、帯広までの行程、開墾の始めは豚と一つ鍋、

           E.水田所の宴 晩成社は事業的大成功者? 
               ◎4農場一括売却が帯広・売買(うりかり)だけとなり、途別・生花苗2農場は破約される。
               ◎2年後の地価暴騰(10倍、晩成社に限れば100倍)

           F.・勉三語録・こぼれ話 いくつかの苦労話、エピソード、
               ◎ふたりの息子の幼死 ◎リクとの離婚、サヨとの再婚 ◎サヨの看病死、リクとの再会
                      
 
   C 結論としてメッセージ)

   D 付録 松崎町・下田北高にある関係写真


               ◎渡辺勝日記にみる郷土史
 






































     シンガーソングライター中島みゆきの祖父・中島武市が
   資金を出して建てた勉三の銅像。(昭和16年)


   中心は2歳2ヶ月で亡くなった俊助、右が勉三、
   左が初めの妻・リクの戒名が刻まれたもの
            (大沢墓所)
 


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