序 章 第1章 第2章 第3章 第4章 第5章
第6章 第7章 第8章 第9章 終 章 あとがき

改 訂 版
 
 
                         須 田 昌 平著
 
     第4章 暗 い 朝
 

      地獄の底に堕ちたのも運命ならば、そこか
    救い上げられたのも運命であろうか。が、
    そこから浮かび出たのは、長八の性根であ
    ったろう。長八はよみがえった。しかし、
    夜はまだ明け切らない。
           
(二十六歳から三十三歳まで)

 
               @
 
 長八が江戸にもどったのは、あと二日で正月という年の瀬であった。ドサ廻りのおかげ
でいくらか金を持っていて、それが差し当たり正月の用を足せた。長八とおきんは久しぶ
りになごやかな思いであった。が、二人で一しょに暮らすようになってから一年経って、
この一年の生き方の相違は、二人の気持ちをすっかり変えてしまっていた。あの時のよう
な激情は今はなかった。二人の間には小さな距離が出来ていた。そんな二人のなごやかさ
だった。
 大晦日の夜、長八はおきんに話をした。
「ひとつ、正月から出直すんだ」
 それは、長八が三島からの道すがら考えていたことである。長八は茂平の言葉を噛みし
め、過去のおのれの所業を愚かしく思い、迷いの夢から覚めた心持ちがした。しかし、そ
れならば、これからどうするのか。ここで悩んだ。新内語りは論外であった。川越へ行く
ことは余りにも時がへだたり過ぎ、絵からも離れ過ぎ、すでに自信をなくしていて、とて
も行く気になれなかった。残る一つの道は左官で働くことである。左官ならやって行ける。
だが中橋へ行くのはつらかった。しかし、中橋へ行く外はないと思うのだった。そう決心
しておきんにやっと話しかけたのである。
「春になったら、早々にも中橋へ行って、亀次郎親方に頼もうと思うよ」
 おきんはそれを聞くと、
「ほんとかえ、お前さん」
 とうれしそうに眼をかがやかせた。が、急に思いついたように、しょんぼりと言った。
「けど、お前さん。あたしたちは世間に顔を出せないんだよ」
「いや、もうあれから一年になる。もう世間に遠慮はいらねえ」
「でも、もしも」
「心配はいらねえ」
 そうは言ったものの、長八に不安がないわけではない。しかし、その不安を押さえて、
あえてやらなければ、と長八は思うのだった。
「おれは、もう一度出直して働くよ」
 長八は自分に言い聞かせるように言った。
 その夜の二人は久しぶりで距離を忘れた。
 明けて、天保十二年である。長八は正月早々にも中橋へ行くつもりでいたが、いざとな
ると気遅れがした。旅の疲れを口実にして、とうとう正月三が日を過ごしてしまった。五
日、
「今日はいい天気だから」
 と、おきんに催促されたが、腰が上がらなかった。中橋を出てからもう六年になる。六
年という歳月は人をへだてさせていた。亀次郎親方に会うのが恐ろしかった。
 閏一月、大御所様と言われて長い治政にさまざまな話題をふりまいた前将軍家斉が死ん
だ。そのうわさと共に、老中水野忠邦の諸政改革が伝えられ、市民たちに一つの重圧とな
ってのしかかった。
 長八はまだ中橋へ行かなかった。決心はしたものの、心の踏ん切りがつかなかった。次
第におきんはいらだって来た。前の不機嫌にもどり始めた。長八も自分自身のもどかしさ
を持て余していた。
 二人がそんな気持ちで口争いをしている時、突然、人が訪ねて来た。
 その時のことを長八は晩年に述懐して弟子たちに話した。
『何だか表が騒々しくて、表の方を見ると、誰かが雨戸の隙穴からのぞいているようだっ
た。そのうちに、一人が大きな声で、
「居た、居た」
 と、誰かに知らせるらしい声がして、おれは青くなるし、女房は恐ろしくなって納戸の
暗がりに隠れて、二人ともぶるぶるふるえていた。とうとう見付かったのだと思った。女
房を探していた日本橋の者が来たに違いないと思ったな。つかまえられたら大変だと思う
と、生きた気持ちがしなかった』
 これはいかにも実感のある話で、やはり長八は『もう一年が経ったのだから遠慮はいら
ない』と言いながら、内心は恐れていたことを率直に示しているところが面白い。
『いきなりがらっと戸があいて、職人風の男が三人どやどやと入ってきた。そうして、
「長さん、居るか」
 と言うんだ。おれは暗がりに小さくなって、返事もせずに息をひそめていた。すると、
向こうは、おれの姿を見つけ、
「やれやれ、見つかってよかった」
 と言って、無遠慮に上がり込んで来た』
 こういう話である。恐らく、この話はうそでなかろう。
 訪ねて来たのは、中橋の職人たちで、そのうちの一人が長八と仲よしの善吉だった。こ
の人は後に長八の弟子になる人である。
 善吉は暗がりに居る長八に、
「何をしているんだい。出て来なよ」
 と言った。善吉だとわかって、長八は安心して、おきんと一しょに出てきた。
「探したよ、長さん」
 挨拶抜きで善吉が言った。
 善吉が長八を訪ねて来たのは、亀次郎の言い付けであった。
「実はな、長さん。日本橋の茅場町の薬師さん、お前も知ってるだろう。あそこの大改築
が始まってるんだよ。そこで、どうしても長さんの手を借りなけりゃならないことになっ
てね。職人たち総出で探していたんだよ。うわさを便りに、本所、深川辺をくまなく探し
廻って、今日で三日目だ。早く見付かってよかったよ」
 と、善吉はほっとしたようだった。
 この話にはいくつかの説があって、長八の伝記に混乱を招いている。当時長八は十九歳
であったとか、安政五年二月のことだとかがそれである。十九歳説は彼の江戸入りとを一
しょにしていて、これはすでに事実に反した説であり、安政五年説にいたっては、江戸大
火と薬師堂類焼と結びつけただけのもので、時代的に誤りである。確かに安政五年二月に
江戸大火があり、その時薬師堂も焼けている。が、長八はすでに四十四歳で、とうに左官
の棟梁として江戸でも名を知られている年頃なのである。それでは事実と全くつじつまが
合わない。もう一つの説は、長八が川越で絵の修業をしているところへ迎えが来たことに
なっているが、もしそうなら、父兵助の死、おむめとの断絶、絶望自棄時代、更におきん
との結びつきなど、筋の通らないことがたくさんに出て来る。したがって、これも事実で
はない。結局、前後の事情から、私はこの時期、すなわち、彼の彷徨時代と推定していた
のである。ところが、この推定を確かにする手掛かりが一つあった。それは茅場町薬師堂
に遺っている天水桶に『天保十二年四月吉日』と刻まれていて、この時薬師堂が改築され
たことが推定されるのである。このことは、もっと考証すべきであるが、この述作の意義
に余り関係ないので省略して、とにかく、天保十二年、長八二十七歳の時としたのである。
 さて、話を本筋にもどそう。割下水の裏長屋を訪ねた善吉は、
「詳しいことは、親方に会って聞いてくれや。わしらはただ探して来いと言い付かっただ
けだから。で、明日にも中橋へ来てもらいてえんだ」
 としめくくった。理由ははっきりわからないが、ともかく大事な用件であろう。
「じゃあ、明日の朝」
 と長八は約束した。
「頼むぜ」
 善吉は用だけすますと、急ぐように帰って行った。
「よかったねえ」
 おきんは機嫌を直していた。
「うん」
 長八はしかし考えていた。大事な仕事だとすると、何か心配が先に立った。長い間鏝を
手にしていない。自信が持てない。とにかく、親方に会って、やれないものなら断ればい
いと、ようやく心に決めた。
 翌朝、中橋へ出掛けようとしているところへ、亀次郎が一人で訪ねて来て、詳しい事情
がわかった。
 茅場町薬師堂の焼失は幾度もあるが、この事件に関連するのは天保五年の大火であろう。
当時、不景気がたたって、仮建築のまま数年を過ごし、その仮建築も老朽化して来たので、
本建築にとりかかったものと想像される。そこで、薬師堂再建の世話人たちは、度々の火
災で類焼して来た事実を考慮して、今度は練屋造り、つまり、土蔵造りにしようというこ
とになった。練屋造りにすると、自然と様式を改めなければならない。諸所の例を参考に
して、正面入口に桝組をつけ、御拝柱を立てることにした。土蔵だから、彫刻の代わりに
漆喰で塗る。が、場所がららしく、桝組も御拝柱も、いい図柄にして塗り上げたい。こう
なると、特別な職人にやらせなくてはならない。
 工事は榑正組が請けた。すると当然左官の仕事は波江野が担当することになる。正月早
々仕事に掛かったが、肝心の正面入口をやる人物が見当たらない。亀次郎は迷い抜いた。
長八が居たら、と思いながら、当てにならないとあきらめていた。日が経つにつれて亀次
郎はあせって来た。そんな時、長八を見掛けたという話を聞いて、それならというので、
職人たちに探させた。
 詳しい事情はわかった。亀次郎親方の信頼には感謝せざるを得ない。が、仕事には自信
がなかった。
「ありがとうございます」
 と、礼だけはていねいに言った。
「しかし、私に出来るでしょうか」
 と、長八は言った。
「やってみろ。おれは、お前ならやれると思って、こうして頼むんだ」
 亀次郎にこうまで言われては、ことわるわけにはいかない。
「とにかく、やってみます」
 ということになった。
 亀次郎の帰った後、長八は道具箱の埃を払って古びた鏝を取り出した。長い間、鏝を忘
れていたと思った。勝手場に行って、錆びた鏝を研いだ。赤錆がどろっと流れた。ようや
く、つややかな光が出て来て、長八はそれをじっと見詰めた。心がよみがえったような気
がした。
「もう迷うまい」
 長八は鏝を見詰めながらつぶやいた。
 長八はありったけの鏝を研ぎに研いだ。朝の光に照らされて、鏝は生き返った。一心に
研いだ。突然、
「そうだ!」
 と大きく叫んだ」
「何ですえ」
 おきんが驚いて振り向いた。
「鏝で絵が描ける」
 そう思った。彼はこの新しい発見に胸を躍らせていた。勝手口から外へ出た。春の陽光
が鏝に弾けた。そのまま、彼はどぶ板をまたいで、小路を歩いて行った。
「よし、鏝で絵を描いてみよう」
 決心がはっきり固まった。今までの迷いが消えた。
 彼の頭には、早くも柱や桝組があった。そこにさまざまな図柄を当てはめていた。
 茅場の薬師堂は通称『茅場薬師』と呼ばれ、江戸名所図会にも載っている有名な寺であ
った。正しくは鎧島山智泉院という天台宗の寺である。ここはもとは水郷地帯で、その一
つの州を鎧島といったのが山号の由来である。太田道灌の頃、茅の置き場であったので、
茅場という地名が出来、この寺も古くは茅場寺と言った。水郷だった頃は文人墨客の散策
地で、荻生徂徠、宝井其角などもこの辺りに住んでいたという。境内は広く、稲荷社天満
宮など点在し、月の八日、十二日が縁日で、大層にぎわったという。縁日には有名な植木
市が立ち、これは明治になっても続いていた。この境内の中心が薬師堂なのである。江戸
時代になって、だんだん周辺に人家が建ち、そのため、しばしば火災に遭っている。

                  A

 翌日、長八は改めて中橋へ出向いた。もっと詳しい打ち合わせをする約束になっていた
のである。久しぶりのことだった。
 亀次郎から薬師堂の図面を見せてもらい、こまかい説明を聞いた。やがて二人は連れ立
って茅場町に行った。現場は七分通り木組みが出来て、大工たちはこまかい仕事をしてい
た。壁塗りも始まっていた。こういう姿を見ると、亀次郎が急いでいるのがうなずけた。
 長八が担当する正面入口も、もう木組みは出来ていた。長八は幾度も見廻して確かめた。
いくつかの図柄が自然に頭に浮かんだ。
 それから数日の間、長八は家にこもり切りで筆を使って図柄を描いた。これも久しく捨
てていた筆である。思うように手が動かなかった。不安とともに紙反古が積もった。
 五日目の夜、明け方まで掛かって、ようやく下絵を描き上げた。もう日が迫っていた。
満足ではないが、一応まとまったものとして決める外なかった。明るくなってからひと眠
りした。昼近く、長八は下絵をふところにして、春の日射しのまぶしい町を歩いて行った。
晩い梅が黒塀から花枝をのぞかせていた。永代橋を渡り霊岸島へ出た。一たん京橋の方に
向かったが、思い直して日本橋に来た。もう一度薬師堂を見たかった。下絵を現物に当て
はめて見たかったのである。薬師堂では職人たちが忙しく働いていた。長八は正面入口に
立って、下絵をひろげた。柱と見くらべ、桝組と見くらべた。
 もどって京橋に来た。亀次郎の家は槇町にある。勝手知った地理である。
 亀次郎は留守だった。職人頭の梅吉がいた。
「今、薬師堂へ行ったが、出会わなかったか」
 と言った。
「まあ上がれよ。直きもどると言ってたから、待っててくれよ」
 梅吉は愛想よく長八を迎えた。
 長八は遠慮なく座敷に通った。おかみさんと久しぶりで会った。長八が出て行った後に
生まれた次男の竹次郎がおとなしく座っていた。これが、後の二代目長八である。
 梅吉が入って来て、母と子は居間の方へさがって行った。早速、
「下絵が出来たのか」
 と梅吉が聞いた。
「へえ、やっと」
 長八がそう言いながら、ふところから包みをとり出した。
「そうか、親方が首を長くして待ってたぞ」
 梅吉が言った。長八は包みをほどいて、下絵だけを梅吉に渡した。
「見せてもらおうか」
 梅吉は下絵をひろげた。始めに墨描きの竜が縦長の紙に描かれてあった。梅吉は両手を
ひろげて紙をのばした。じっと見ていた。
「どうでしょう?」
 長八が静かに言った。梅吉は黙って見ていた。
「御拝柱だな」
 とつぶやくように言って、もう一枚の竜の下絵をとって並べて、ゆっくりと見くらべた。
「面白い趣向だな」
 と梅吉が微笑した。
「長さんも腕をあげたな」
 つぶやくように言った。下絵から眼を離さなかった。しばらくして、
「しかし」
 と、またつぶやくように言った。
「なあ、長さん」
 梅吉は長八を見た。
「へえ」
「ちょっと細か過ぎやしないかなあ。絵としては立派だが、御拝柱にすると、こんなに細
かくっちゃ、竜の威勢が出ないんじゃないかな」
 二枚の下絵を見ながら言った。
「そうでしょうか」
 それは一理ある。が、長八には別な考えがあった。そのことを言おうかどうしようかと
思っているうちに、梅吉は別な下絵をひろげた。
「これは桝組の欄間か」
「へえ、そうです」
 すると、今度は直ぐ、
「これはまた太くて大まかで、花紋の優美さが出ないように思うが」
 と言った。これも一理あることだった。
 長八は下絵を苦心してようやく描き上げた。荘重典麗にと思って描き上げた。過去にこ
ういうものがあったかどうか知らなかった。それは一種の冒険でもあった。確信はなかっ
た。梅吉に言われると、心が揺れた。自分には自分の意見がありながら、それを口に出し
て言う自信はなかった。
 そこへ亀次郎が帰って来た。
「出来たか」
 と、無造作に二人の前に座った。直ぐ下絵の一枚を手近に寄せた。花紋の図だった。亀
次郎は下絵に眼を近づけたり遠くにして眺めたりして、
「なるほど」
 とだけ言った。次の竜の図の一枚を引き寄せて、同じようにゆっくりと眺め廻した。
「なるほど」
 またうなずくしぐさをした。
「どうでしょうか」
 長八がたまりかねて聞いた。亀次郎はまだ下絵を見ていた。
「結構。結構」
 ようやく、そう言いながら眼を長八に向けた。煙草入れから煙管と抜いた。
「さすがは長八だ。立派だぜ。川越での修業が実になっているな」
 煙草を詰めながら言った。ゆっくり煙を吐いた。
「親方」
 梅吉が言った。
「この竜ですがねえ、余りに細密で、ちょっと勢いがないように思いますが」
「うん」
 亀次郎はうなずいた。ゆっくりと竜の下絵を手にして、梅吉の方に向いた。
「梅吉、これは御拝の柱だぞ、大きい丸柱だぞ。恐らく浮彫にしなくちゃなるまいな。な、
長八」
「へえ、浮彫です」
「浮彫にして、大きな柱に塗り込むには、これぐらいの細かい図柄にしないとうまくない。
梅吉、お前は薬師堂の御拝柱を見たろう。あれに、この図柄を当てはめて見ろ。これぐら
いで丁度いいはずだ」
 長八が考えたことと同じだった。しかし、長八は黙っていた。梅吉も黙っていた。亀次
郎は花紋の図を引き寄せた。高く掲げて見た。ためつ、すがめつしていたが、
「梅吉、これは太すぎると思ったろう」
 亀次郎は微笑していた。
「へえ」
 梅吉は心の中を見透かされたように、ちょっとまごついた返事をした。
「ところが、これは高い所に、しかも沈め塗りにするものだ。高いし、薄暗いし、図柄が
こまごましていては見ばえがしない。これぐらいの太さはやっぱり欲しいな」
 亀次郎はそう言って、もう一度改めるように高く掲げた。
「なるほどねえ」
 感心したように梅吉がつぶやいた。
 亀次郎は図柄を見て満足した。あとは長八の鏝さばきだ。長八の腕には信頼している。
恐らく立派な出来栄えだろうと思った。
「これでよし」
 亀次郎は安堵したように独りごとを言った。
「早速だが、直ぐ仕事に掛かってくれ」
「へえ」
「手伝いは何人ぐらい」
「いいえ、あっしが一人でやります」
「遠慮するなよ。急ぐんだから」
「いえ、遠慮じゃありません。一人の方が仕事がはかどります」
「じゃあお前一人でやってくれ。もし手伝いを欲しけりゃあ、いつでも言って来い。しっ
かり頼むぞ」
 下絵はこれで決まった。長八はその夜行灯の下でじっと一点を見詰めていた。頭の中で
竜を描いていた。どうしてもうまく描けないところがあった。長八は灯かげに手をかざし
て、幾度も幾度も空中に描き続けた。が、思うように描けなかった。いつのまにか、うつ
ぶせになって、長八は眠った。目が覚めると夜が明けかかっていた。
 おきんは寝間でまだ眠っているようだ。そっと裏口から外に出た。ひんやりと朝風が軽
く流れていた。
 昨夜からの竜のことがまだ頭にひっかかっていた。思いめぐらしながら、長八は割下水
の縁を歩いていた。縁に沿って、春らしくなった柳が涼しそうに揺れていた。長八は何気
なく眼の前にゆらいでいた柳の枝をむしった。手に一枚の葉が残った。手を開いて、それ
を見た。じっと見ていた。長八は足を止めた。
「そうだ!」
 と長八は叫んだ。もう一度、手の上の葉を見た。
「これだ!」
 と思った。
 長八は急いで家にもどった。急いで道具箱をあけた。鏝を一つ一つ手にして、朝の光に
透かしていた。やがて、そのうちの一つを選ぶと、井戸端へ行って研ぎ始めた。
「朝御飯だよ」
 とおきんが呼んだが返事をしなかった。一心に鏝を研いでいた。
 昼近くまでかかって、長八は変わった鏝を作り上げた。薄く細く、少し反りを打った鏝
で、それは丁度今朝手にした柳の葉そっくりだった。
 長八は研ぎ終わると、飽かずその鏝を見ていた。心の底から微笑がわいて来るような表
情だった。
「これでよし」
 と長八はつぶやいた。長八は鏝を手にして、心の中で竜を描いていた。昨夜から苦心し
ていて、思うように描けなかった竜の爪先、雲をつかみ、雲を掻き分ける鋭い爪、そこか
ら幾条にも雲がちぎれるところ、新しい鏝は思うままに、長八の心の中で動いていた。
 後年、長八はこの鏝を『柳葉』と名付けて、いつも白布にくるんで懐中に入れていたと
いう。後には、これに類した大小さまざまの鏝を作ったが、彼のおびただしい作品のほと
んどは、この柳葉の鏝から生まれたのである。
 長八は昼食をも忘れていた。鏝をふところにして、漆喰を練った。裏の戸口に塗ってみ
た。柳葉の鏝は快適に長八の意のままに動いた。長八は憑かれたように鏝を動かしていた。
 『柳葉』の誕生は、同時に長八の芸術への出発でもあった。新しい長八の道がここから
始まる。もちろん、前途はまだ遼遠ではあったが、ともかく、明るい希望の光は射してい
た。
 長八はようやく疲れを感じた。鏝を持ったまま、ぐったりと茶の間に座った。出された
食膳に、長八はやっと自分をとりもどして、箸を手にした。がつがつと食べた。

                  B

 翌日、長八は茅場薬師の仕事を始める。ところが、ここは長八の生涯の山場であるだけ
に、伝えられた話はいくつもあって、どれが真実なのかわからないほどである。私はその
伝説の中から、冷静に判断して、時代的にも長八自身の人間像の上からも、これが正しい
と推定して物語を構成したが、しかし、これすら確証ではないことを告白せざるを得ない。
したがって、一応私の推理によって、叙述し、その後で他の伝説を照会し、後日の検討に
資したいと思う。
 長八が茅場薬師の仕事に掛かったのは、もう二月になってからである。閏の一月があっ
たから、この年の二月はもうすっかり春で、梅はとっくに散り、桜が咲き出す頃だった。
 長八は長い年月の空白を意識していた。そして、この仕事が絶好の転機だと思っていた。
この仕事に賭けた。それだけ意欲的だった。
 始めに、欄間の花紋を塗った。下塗り、中塗りと丹念に塗り重ね、上塗りは念には念を
入れた。四方の欄間は白くまばゆかった。その上に刻明に沈め塗りをした。下絵を見なが
ら、壁にぴったりと図柄を納めることは、なかなか神経を使うものである。
 大体、左官の仕事は、塗ると一口に言うけれども、そう簡単なものではない。塗るとい
うよりは撫でると言った方が当たっている。しかも、薄く紙ほどに塗って、それを何回も
重ね、適度に力を入れなければならない。そして、全面に均等な密度で、でこぼこを生じ
てはならない。表面には密度の濃い艶が出なければならない。したがって、最初の下塗り
からおろそかに出来ない。一鏝一鏝、力と神経がいるのである。
 長八は四方の欄間を塗るのに十日を費やした。職人たちは、余りにゆっくりなのにあき
れ顔だったが、亀次郎親方は、さも満足げに見ていた。
 花紋は見事に出来上がった。下絵では太過ぎると梅吉に言われたが、仰ぎ見る欄間は、
くっきりと光を帯びて、壮麗であった。
 休む間もなく、御拝柱にとりかかった。柱をていねいに棕梠縄を巻きつける。基礎が大
切である。縄には湿りをたっぷり持たせて、力一っぱい巻きつける。少しでも緩みががあ
っては表面にひびを生じる。幾度も巻いては解き、巻いては解き、縄の伸びを極限にして
巻きつける。縄を巻き終わると、下土を塗る。土と縄とが密着して寸分の隙もあってはな
らない。そのためには、土に厚薄があっても濃淡があってもいけない。まして、これは御
拝柱である。風雨にも曝されるし、人の手も触れる。それだけに入念に塗らなければなら
ない。
 長八は毎日緊張していた。久しぶりの仕事であるし、大事な仕事であった。二本の柱の
下塗りがようやく終わって、これから中塗りにかかろうとした時、突然郷里から母親がや
って来た。
 母親の年齢ははっきりしないが、父兵助が三年前に六十歳で死んでいるから、恐らくこ
の時六十歳ぐらいであったろう。兵助の死後、どんなに苦しい生活をしていたか、およそ
想像はつく。八十歳を越えた伯母と、病身の姉と、幼児を抱いて、働き手の母親自身病弱
で、一人前に働けなかったのである。母親が老躯を押して江戸へ出て来た目的は、言うま
でもなく、長八を説得して故郷に連れもどそうというのである。が、もう一つの理由があ
った。父親の死んだ時、一たん帰郷しながら、突然江戸へもどり、放逸な生活を続け、お
まけに道ならぬ不義をしたといううわさは故郷にも伝わっていた。母親としては、それは
苦しい思いだった。期待していた息子だっただけに辛いことだった。思い切って、泥沼か
ら息子を救い出そう、そう母親は思ったのである。
 母親は本所割下水の家に痩せた体を横たえた。二、三日、病人のように寝ていた。寝て
いながら、長八にもおきんにも手を合わせて帰郷するよう懇願した。
 母の気持ちは無理もないと思うのだった。が、長八は仕事にかかったばかりで帰ること
は出来なかった。おきんは別な理由で同調しかねた。毎夜のように、同じ話が繰り返され
ていた。
 長八は仕事に神経を使っていた。中塗りもようやく終わった。これからが大事な仕事に
かかるのである。つい母親のことをないがしろにしていた。
 母親は母親であせっていた。時節がもう苗代作りになっていた。百姓にとっては米作り
は命の問題である。一日も遅らせるわけにはいかない。母親は長八を責め立てた。泣きく
どいた。
 困り果てた長八は、
「薬師堂の仕事がすんだら必ず帰郷する」
 と約束して、ひと先ず母親に帰ってもらうことにして、ようやく母親を納得させた。
 が、一人で帰すわけには行かない。長八は薬師堂の仕事を中断して、沼津まで送ること
にした。沼津まで行けば船がある。船に乗せさえすれば帰れる。それから引き返して仕事
にかかれば、期限までにはやり遂げられると長八は計算した。
 長八は母親と連れ立って朝立ちした。老人と一しょだから急ぐわけには行かない。泊ま
りを重ねて五日目に箱根を越えた。
 三島に着いて、茂平の家を訪ねた。茂平に事情を話して、母を託し、長八は直ぐ江戸に
引き返すつもりだった。
 茂平には当然茅場薬師の話をした。茂平は長八が立ち直ったこと、いいきっかけを得た
ことを喜んだ。
「鏝で絵を描くか。これは素晴らしいことじゃあないか。恐らく誰も手をつけたものはあ
るまい。お前さんには打ってつけの仕事だ。是非がんばってもらいたいもんだ」
 と茂平は励ましてくれた。そして、母親に向かって、
「こんな立派な仕事をしている息子を持って、お前さんはしあわせだよ」
 と、それとなく長八の帰郷をあきらめさせようとした。
 事実、母親は二度と長八の帰郷を願わなかった。思うに、長八が江戸にもどってから、
茂平は母親によく話して納得させたのではないか。
 母親を茂平に託して沼津へ出立させると、長八は直ぐに江戸に向かった。急いだ。五日
間の空白が心にかかった。急ぎに急いだ。
 江戸に着くと、その足で茅場薬師に行った。そうせずにはいられない気持ちだった。
 行ってみると、御拝柱の下に職人が二人働いている。近寄ると、仲間の天神の梅と芝の
市五郎の二人が、せっせと柱を塗っていた。
「お前さんたち、これはどうしたことだ」
 と長八は二人にたずねた。
「やあ、長さんか」
 と二人は長八を見た。
「よく帰って来てくれたなあ」
 と、二人はいかにもうれしそうに言った。
「どうしたのさ」
 長八には納得がいかなかった。しかし、二人はにやにや笑っていた。
「これで安心した。やれやれ」
 芝の市五郎が柱を塗りかけたまま、鏝を片付け始めた。天神の梅もそれにならった。
「詳しいことは親方に聞いてみな」
 二人はそう言ってその場を去った。
 中橋へ行って、亀次郎に会った。亀次郎は驚いて、長八の姿をまじまじと見て、やがて
にっこり笑った。
「帰って来たか」
 ぽつりと言った。
「さっき、茅場町へ行って来ました。ところが………」
 と長八が言いかけるのを、亀次郎は手で押さえた。
「よく帰ってくれた。実はな、お前はもう江戸にはもどるまいと思ったんだ。母親を送っ
て、すぐもどるとは言ったものの、はるばるやって来た母親だ。お前を離すまいと思った
んだ。薬師堂の仕事も追われている時だし、お前を当てにして待っているわけにも行かず、
二人を無理にやらせたわけだ。悪く思わないでくれ」
 という事情だった。無理もない。が、
「とすると、これからはどうするんで?」
 長八は先を心配した。
「お前が帰ったからには、お前一人でやってもらう」
「それでは折角の二人が」
「いや、二人はいい。もともとしぶしぶ引き受けたんだから。わしからよく話す」
「親方、それでは二人に悪い。やる気になっているんだから」
「いいんだ。そんな気づかいは無用だ」
 亀次郎は何の屈託もない口ぶりだった。しかし、長八は気にしていた。自分のことより
も芝の市五郎と天神の梅の二人が気の毒だと思った。
「親方、それじゃあ、こうしたらどうでしょう。二人には今やりかけている一本をやらせ、
まだ手をつけていない方を私がやる。そういうことにしたら」
 長八はそう言った。亀次郎はちょっと思案して、案外無造作に、
「じゃあ、そうしよう。二人にはおれから言っとく」
と言った。
 翌朝早く、長八は薬師堂に出掛けた。職人二人も来た。話がとどいていて、三人で御拝
柱を始めた。職人二人は昨日の続きにかかった。長八は漆喰の材料を集め、土を練った。
根気よく練っていた。白と黒の漆喰が練り上がったのは、もう昼に近かった。その間に、
二人の職人は、一方の柱に竜の形がわかるほどに塗り進んでいた。
 昼過ぎてから、長八は柱に向かった。練り板の漆喰をもう一度念入りに練った。そして
ゆっくりと柱をひとめぐりした。眼がだんだんと輝いていた。眼が柱一面に竜を描いた。
やがて、鏝がたっぷりと白泥をすくった。その白泥を柱にたたきつけるように鏝を振るっ
た。同じことを続けた。白泥が柱一面に点々と塊まりをつくった。塊まりで柱が埋まった。
 鏝が敏捷に動いた。上から下へ、下から上へ、右から左へ、左から右へ、塊まりが鏝に
押しつぶされて、崩れ、滑らかに伸び、鏝は何十回となく柱をめぐった。次第につややか
な白い柱になっていた。
 休む間もなく、長八は黒漆喰を鏝にし、柱にぶっつけた。今度は鏝がそのまま黒い塊ま
りと一しょに流れるように走るように曲線を描いた。大きく小さく、太く細く、曲がり走
り、渦を巻き、そしてある時は白泥の中にしみ込むように消え、ある時は白泥から湧き出
た。そこに、いつの間にか雲の渦が描かれていた。
 長八は我を忘れていた。また改めて黒泥をすくってはぶっつけ、上から下に鏝が躍った。
鏝は黒泥と共に走り、黒泥と共に止まった。柱に太い曲線がうねった。鏝は次第にこまか
く動くようになった。黒い竜が形がだんだんと浮き出た。
 長八はいよいよ柳葉の鏝を手にした。鏝の光が生き物のように、走り、跳ね、足踏みし、
駆け出した。うろこも爪もひげも角も、柳葉の鏝の動くにつれて、はっきりとして来た。
それは、雲間を掻き分けて昇天する竜の姿になった。すさまじい勢いが風を呼ぶようだっ
た。
 いつのまにか、春の日は傾いていた。長八は時を忘れていた。仕事をすませた職人たち
が長八を遠巻きにして、感じ入ったように眺めていた。長八はそれすら気付かなかった。
長八は竜になっていた。白と黒との雲の中を全身の力をこめて躍り上がり掻き分ける竜に
なっていた。柳葉の鏝が長八の心そのままに動いた。爪は雲をつかみ、うねる体から風が
生じ、うろこは光り、眼が天をにらんだ。
 日が暮れていた。遠巻きにしていた職人たちも、いつのまにか居なくなっていた。ひっ
そりと暗い薬師堂に、長八は放心したように立っていた。
 気がつくと、境内の外の民家に灯がともっていた。ようやく長八は自分をとりもどして
散らかった道具を拾った。体の中には、まだ興奮が熱っぽかった。まだ仕上がったのでは
ない。明日改めて、と思った。
 彼は夜道を歩いていた。
「やれる」
 と思った。
「やるぞ」
 長八は、新しい道への自信らしいものを感じていた。

                  C

 翌朝、長八は遅く目覚めた。というよりも、亀次郎に使いの者に起こされたのである。
興奮が夜を眠らせなかった。一つの自信が、未来をあれこれと考えさせて眠れなかった。
「急用があるから、直ぐ中橋へ来てくれるように」
 と、使いの者は言って帰った。
 長八は朝飯もそこそこに家を出た。うららかな日射しが眩しかった。急いで中橋に着く
と、亀次郎は待ち構えていた。
「待っていた。例の御拝柱は、今日で仕上がるか」
「へえ。しかし、仕上げは念入りにしたいと思いますから」
「今日一日で出来ないか」
「やってやれないことはありませんが」
「是非、そうしてくれや」
 事情は何にも言わないで、何か妙にあわてている亀次郎だった。
「一体、どうしたんですか」
 と長八が問い返した。
「とにかく、今日一日で仕上げてくれや。立派な出来のようだな。職人たちが驚いていた。
江戸八百八町広しといえども、こんな立派なものは外にはないとな」
 亀次郎は問いには答えず、自分の言いたいことを言った。
「今日一日で仕上げます」
 長八ははっきり言って、
「ですが、親方、何だってそんなに急ぐんです」
 と、聞いた。
「そうだったな」
 亀次郎はようやく気付いたように言って、真顔になった。
「昨夜遅く、梅と市五郎が二人そろって来てな。御拝柱の仕事を全部お前にやらせてくれ
というんだ。いろいろ聞いてみたが、正直なところ、二人とも手を焼いているんだな。二
本の柱が釣り合いのとれないようなものになっては、末代まで恥さらしだというんだ」
「なるほど」
 長八はそう思った。もっともな理屈だ。
「しかし」
 二人をやらせたかった。二人の仕事を手伝ってもいいと思った。が、亀次郎は、
「お前の仕事を見ていて、かぶとを脱いだんだ。実はおれも昨日それとなく見て来た。誰
が見たって、段違いの出来だ。二人の言うことももっともだと思う。そういうわけで、も
う一本の柱もやってもらいたいんだ」
 と言った。
 もともとこういうことになったのは、長八が母親を送って行くことからである。日限の
迫っている仕事を七日も留守にしたのだ。
「二人がそのつもりなら、私にやらせて下さい。元はといえば、私の勝手からこんなこと
になったのですから」
 長八はそう答えざるを得なかった。
「それで安心した。薬師堂の開帳もあと十日だ。すっかり乾くまでは人を入れたくないし、
そうするってえと、この二、三日うちに仕上げなくちゃあならねえ。お前ならちゃんと間
に合う」
「十分間に合います」
「頼むぞ」
 長八は直ぐその足で薬師堂に向かった。職人たちの塗った柱は、竜の頭の部分だけが骸
骨のように塗られていただけだった。
 長八は先ず、昨日描いた自分の柱をていねいに見た。遠くからも眺めた。そして、柳葉
の鏝で竜の形を整えていった。削るように鏝が生ま乾きの土をこぼした。頭の部分から胴
体に、脚に爪に、こまかく鏝が動いた。次第にくっきりと竜が現われ、雲が描かれた。幾
度も幾度も柱をめぐった。
長八の同じような作業は、昼過ぎまで続いた。飽くことのない鏝の動きであった。とう
とう夕暮れまでかかって、柱はやっと出来上がった。
翌日、長八は二人の職人の残した仕事にかかった。前のように入念に土を練り、手馴れ
たように上から塗り出した。こちらは下り竜だから、頭部は下である。長八は骸骨のよう
な頭部はそのままに、上から始めたのである。黒泥と白泥が入り混じった。が、それには
構わず、一気に下まで塗りつぶした。いつのまにか竜の形が現われ、骸骨のような頭部が
生き返った。
 四日目、前と同じように、柳葉の鏝一本で細部に手を入れて仕上げた。
 時は天保十二年。もう四月に入っていた。茅場薬師の開帳は四月八日が定例で、それま
でに完成の予定だった。柱が出来て、すべての工事は終わった。
 すでに、新装成った薬師堂は、江戸の人々の口から口に伝わって、大層な評判になって
いた。わけて、御拝柱の竜が物見高い江戸人の人気をそそっていた。
 以上が茅場薬師にまつわる長八伝説であるが、先にも言ったように、これにはいくつか
の異説がある。約束通り、一応このことに触れなければならない。
 一つは御拝柱を塗る仕事を、長八と、もう一人の職人にやらせたが、職人の方がうまく
いかず、とうとう長八がやってしまったという説である。これは何となく不自然である。
職人の中に、最初からそういう人物が居たとすれば、亀次郎が長八を探し廻る必要はない
はずである。
 一つは、長八が母親を連れて江戸を発った後、三人の職人に共同製作させたという説で
ある。三人の職人は、長八の下絵とは別に、竜の画像をあちこち探し廻っているうち、長
八がもどって来たことになっているが、三人というのはどうも腑に落ちない。これとはま
た別に、三人の職人が期日に迫られて御拝柱を塗り始めたが、いろいろと意見があってま
とまらず、困っているところへ長八が帰るということにもなっている。そこで、職人たち
は竜の頭から始めていたので、長八は尻尾の方から塗り出し、とうとう竜の頭を塗りつぶ
したというのである。おまけに、その結果、職人たちは激怒して、仲間を誘って、長八を
暗討ちしようとしたという付録までついている。この話は、多分に粉飾されて、講談風な
感じが強い。それだけに疑わしい筋書きに思えるのである。長八という人は、それほど人
の心を傷つけるようなことはしなかった男である。しかし、この伝説とは別に、多少のい
ざこざがあったかも知れない。何しろ無名の青年が選ばれたことは、江戸職人にとって手
痛いことであったろうから。
 第三に、母親を沼津の知人に託して江戸に引き返したという説がある。沼津に知人があ
ったろうが、長八には、茂平を無視して三島を素通りすることは出来ないはずである。茂
平に会ったとすれば、茂平の性格から考えて、母親を預かったに違いない。
 以上が異説とそれに対する私見である。
 ともかく、長八は茅場薬師の仕事によって本来の面目に立ち帰った。茅場薬師の竜が江
戸の評判となったということは、長八自身の踏み出した道に声援を送ったようなもので、
長八はここから着実な夢を描き始めるのである。暗かった朝がようやく明るみを帯びて来
たのである。
 が、長八はたった今開眼したばかりである。いや、ほんとうは、開眼とまでは行かず、
微かに己れの方向を知ったに過ぎないかも知れない。江戸市中に名を知られるようになっ
たとは言っても、依然として一介の左官職人でしかない。相変わらず本所割下水の裏長屋
に貧しい生活を続けながら、己れの方向を見定め、ほんとうの開眼をせねばならぬ。未来
はやはり未知数であった。
 長八は、しかし、茅場薬師の工事に参加したことによって、波江野亀次郎の職人として
復活することが出来た。しかも、亀次郎に厚遇され、重要な片腕として、これから活動す
るのである。したがって、生活的にもいくらか楽になる。おきんとの仲も、何となく平穏
になる。
 ただ、長八はそこに安住して居れなかった。茅場薬師の仕事は、偶然にも、彼に鏝と絵
との結合を考えつかせた。そして、筆に代わる柳葉の鏝を作り、それを見事に御拝柱で確
信を得た。しかし、そこから新しい未来が彼を捉えていた。それは、白と黒の単純な図式
から、色彩を思いつかせたことである。茅場薬師の花紋と竜を塗っている時、彼は不思議
な幻想をしていた。花紋が赤く青く映ったり、竜の眼は金色に輝いたりしていた。竜の肌
は青い色を含んでいた。その幻想は、すべて仕上がった後に、色彩へと志向していた。
 長八のひたむきな心は、その色彩に動いていた。暇さえあれば漆喰をいじり、色を出す
ことを工夫した。絵の具を水溶きして漆喰と混ぜ合わせたり、粉末を入れて練ったりした。
しかし、なかなか思うように出来なかった。
 いつか夏たけていた。夏になると、江戸の方々に祭りがある。そのたびに、人の心をそ
そるように花火がとどろく。が、長八は色彩にとりつかれて、祭りなどには全く無関心の
ようであった。
「今日は両国の川開きだよ」
 おきんは祭り好きで、朝からそわそわして、催促めいたことを言う。すると、
「行っておいで」
 と長八はあっさり言うだけである。
 彼は鏝で絵を描くことを考えた。そこには普通の絵とは違った技術があり、違った芸術
があると思った。着色にも違った技術があり、違った芸術があると思った。幸いなことに、
彼は左官であり、その上絵の修業をした。二つの力が融合し調和すれば、新しい芸術を創
造し得ると思った。これこそ、彼がなし得る道であり、なさねばならぬ道だと思った。
 若き日の淨感寺塾の友を思った。二歩も三歩も立ち遅れていた長八は、やっとこれで彼
等と対等になれると思った。しかし、これからが大変だという予感がした。

                   D

 この年天保十二年は、いろいろな意味で、幕末動乱への胎動を感じさせる年である。ま
ず前将軍家斉が死去したことによって、水野忠邦は本格的に天保の改革を実施することに
踏み切った。それは財政上の問題であると同時に、幕府の権威を高揚せんがための策でも
あった。が、この施策は失敗し、むしろ逆に幕府に反感を持たせるような結果となった。
これに、外国問題がからんでいた。幕府は鎖国を建前とし、そのための海防に力をそそい
だ。しかし、幕府は外国事情の変化を知らないで、ただ自国流に考えていたために徹底し
ていなかった。多少とも外国を知っている者から見れば、それは滑稽であり、笑止であっ
た。幕府はその点では左右両派から非難されるようになった。この内と外との問題がから
み合って、次第に複雑は険悪な世相に変貌して行くのである。こういう状態では、翌天保
十三年に至って、一層厳しく激しくなって行くのである。
 こんな時勢の中で、長八は毎日のように土を練っていた。彼の頭には、茅場薬師以来、
漆喰着色への執着があった。今までの試みでは漆喰に色を塗ったり、水溶きした色絵具を
練り合わせたりして、さまざまに工夫したが、ほとんど失敗していた。変色したり、剥落
したりして、実用にはならなかった。今の彼が考えているのは、変色しない漆喰、濁りを
帯びない色土、剥落を防ぐ工夫であった。彼は試行錯誤を繰り返していた。「今度はよか
ろう」と思ったことが土が乾くにつれて失敗だとわかると、彼は奮然と次への足掛かりを
求めて飽きなかった。色の濃度、分量をさまざまに加減してみた。漆喰の質にも注意して
試験した。色を合わせるためには、幾色かの違った配合を考えねばならなかった。実験は
繰り返され、失敗は繰り返された。しかし、長八はひるまなかった。
 もちろん、左官の本業のかたわらの研究である。中橋の亀次郎親方の手足となって働く
中で、暇を惜しんでのことである。幸い、定職にありつけたし、亀次郎には以前に増して
眼を掛けられるし、生活はまずまずであった。そういう点では、おきんは満足していたが、
長八のひたむきな仕事熱心が、月日が経つと共に、おきんの心に不満を抱かせるようにな
ったことは否めない。色漆喰のことに熱中している長八は、おきんの話し相手にもなって
くれない。家に帰れば、昼となく夜となく、粗末な土間隅に筵を敷いただけの仕事場で土
をいじっているだけである。食事がすめば、また仕事である。おきんは、いつか一人で出
歩くようになり、夫婦の間に隙間がひろがる。
 伝説では、茅場薬師以来、長八は一躍有名になり、名人とうたわれたというのだが、確
かに有名になり、あるいは一部で名人などと言ったかも知れないが、そんな単純なもので
あろうはずはない。つまり、伝説では、茅場薬師以後の血のにじむような研究には一言も
触れていない。長八にとって、最も重要な部分であると思われるのに、実状は皆目わかっ
ていない。
 しかし、伝説をたぐってみると、茅場薬師以後、つまり天保十二年から、郷里の淨感寺
建築に参加し、そこで壁絵を製作する。つまり弘化二年まで、この間四年間、彼の仕事も
行動も全く空白であることを見のがしてはならない。この四年間こそ、長八の色漆喰研究
の重要な時期であったのである。それは、弘化二年の淨感寺での製作が、まさに漆喰彩色
の成果を示しているからである。思うに、そのことについて、長八は誰にも語らなかった
であろうし、語ろうとしなかったであろう。長八という人は、そんな性格の人であったら
しい。ただ残念なことは、多くの弟子の中で、一人もこのことについて聞きただす者がな
かったのかということである。
この時期の一つの疑問として、私が考えたのは、長八は油絵技法にも眼を向けていたの
ではないかということである。それは、作品の中にしばしば見られる光沢について感じら
れる。漆喰には展着材料として寒天を用いる。寒天を用いると、壁面に光沢が出る。しか
し、長八の作品に見られる光沢は、それよりもっと強くつややかである。私は久しい間、
これを疑問に思っていたが、それに答える証拠はまだない。微かに、油を使ったのではな
いかと想像し、あるいは油絵技法によったのではないかと推測するだけである。
 当時、すでに油絵は日本に渡来していた。日本人の中にも油絵を習得した人々はかなり
あった。司馬江漢、亜欧堂田善など、洋画家として知られている人もいた。これらの人に
長八は教示を受けたのではなかろうか。特に亜欧堂田善は、谷文晁の門人で、長八の師喜
多武清とも交わっていたらしいので、あるいは川越時代に油絵技法を習得していたのかも
知れないと想像する。しかし、仮に長八が油絵を習得したとしても、彼の作品を見ると、
表現技法には及んでいないから、恐らく初歩的なものであったであろう。油を使っている
かどうかは、今日では化学的な分析が可能だと思うが、それは私の領域ではないから、こ
こでは単なる想像として置く。
 さて、天保十三年となると、水野忠邦の改革は次第に市民生活を圧迫し始める。諸物価
引き下げを布令し、葬祭などの式事の華美を禁じ、岡場所の取り払いを命じ、芝居小屋を
二座として浅草に移し、春本作家為永春水らを捕らえるなど、こういう一連の緊縮、粛正
の政策は必ずしも悪政とは言い切れないのだが、余りにも厳格であり性急であって、むし
ろ、かえって反感を買う結果となった。
 この改革で、岡場所取り払いの令は、江戸各所に散在していた遊興の場を、吉原と宿場
にだけ認可し、他は全部取り払うというもので、この時、深川遊郭も廃されて、播磨屋は
店を畳んで、先に述べた八名川町の別宅に移り住むことになる。源次郎一家は妻のりせと
一人娘のおたきの三人暮らしだが、ここで生活することになると、恐らく改築改造をした
ろうと思われるが、もしそうだとすると、この時、当然亀次郎が工事を分担し、したがっ
て長八もこの仕事に加わったろうと想像する。もしこういう想像が許されるなら、ここで、
長八は播磨屋の一人娘おたきと初めて顔を合わせたことになる。おたきは二十一歳、数年
前からさる大名屋敷に行儀見習いのため奉公していたが、播磨屋を廃業するのを機会に暇
をとって帰っていたのである。
 源次郎夫婦には三人の子があったが、長男は早く死に、次男の省三は湯島に養子にやり、
娘のおたきだけが残っていた。おたきの下にも二人生まれたが、二人とも成人しないで死
んでいる。こういう家庭事情から、播磨屋はおたきに婿をとって、後を継がせねばならな
かった。が、おたきは娘盛りを屋敷奉公していて、いまだに縁談がなかった。一つには、
播磨屋という家柄が、深川での名家で、婿選びも自然とむずかしかったという理由も挙げ
られる。
 長八とおたきは後に夫婦になり、長八は播磨屋の後を継ぐが、その過程として、八名川
町の改築工事は、二人の初対面の場として面白いと思うが、無用な想像は止めにして置こ
う。
 八名川町の工事は春のうちに済んだ。長八の漆喰彩色の研究は、少しずつわかりかけて
来た頃であった。長八は自分の研究の成果を実験してみたかった。長い期間を掛けなけれ
ば成否は判定できないのである。彼はその機会をうかがっていた。
 彼は職人として仕事に出掛けた先で、暇があると、戯れのように何かを造型するように
なった。例えば、屋根瓦の末端に雀をつくったり、壁や欄間に梅の花などを描いたり、誰
も気付かないような所に、ひそかに実験を試みていた。
 ある時、そのいたずらがその家の主人に発見されたが、それが長八の作と知れると、『こ
れはいい記念になる』と、かえって喜ばれたという伝説がある。すでに一部の人々には、
長八の名がすぐれた左官として認められていた証拠であろう。が、反対のこともあった。
ある商家で座敷の欄間に蜘蛛の図を描いて、主人からこごとを言われ、急いで塗りつぶし
たという話もある。
 こんな話が江戸時代の長八の逸話として残っているのは、恐らくこの研究期のことであ
ったろう。
 こうして、また年が明けて、天保十四年となる。水野忠邦は、次々と改革の布令を出す。
百姓町人に武芸を習うことを禁止する。江戸、大坂の十里四方を幕府直轄地とする。だん
だん圧政的となり、幕府内部にも反対論が出、その年の九月、とうとう忠邦は退陣する。
代わって、阿部正弘が老中となり、天保改革を緩和する。
 その年の暮れ、江戸は大火に見舞われ、勢い翌天保十五年は正月早々から市中に再建の
槌音が響き、左官の仕事も忙しくなる。長八の漆喰彩色の研究も、当分思うようには進行
しなかった。
 その年の五月、江戸城本丸が焼ける。六月、再び水野忠邦が老中として登場する。もは
や大きく世の中は動いていた。幕府の施策に反対の者が、内政の問題からも、外国問題か
らも、痛烈な非難をするようになる。長八はしかしそんな世の中を見ていなかった。ただ
一心に、目ざすものに立ち向かっていた。色の研究は徐々に成果を示していた。実験がい
くつかの成功を証明した。
 江戸における長八の作品は莫大な数にのぼるはずだが、大部分は大正十二年の関東大震
災までに消滅してしまって、今日遺っているのは小品ばかりである。が、その小品は色彩
や構図などから見て、恐らく初期の作品であろうと思われるものが比較的多い。その中に
は、この時代の試作品ではないかと推定されるものも多数ある。
 この色彩研究の四年間は、長八の一生にとっての重要な時期で、彼はこのことに寸暇も
惜しみ、心身を労するほどに熱中して、ある程度の成功を収めた。が、それだけのことで、
長八の伝記は成り立たない。彼のこの精進の裏側に、思いもよらぬ悲劇が虫食い始めてい
たことを見落とすわけにはいかない。

                  E

 思いもかけぬ悲劇が………というのは、妻のおきんとの関係が次第に冷たくなっていっ
たことである。
 おきんは、茅場薬師以来、長八が定職を得るようになり、しかも腕も買われて来たこと
を喜んでいた。おかげで、収入もふえ、今までの生活苦を忘れるほどだった。それは、お
きんにとってはうれしいことだった。しかし、そうなると、持ち前の派手好みが頭を持ち
上げる。今までの苦労が長かっただけに、おきんの欲求は強かったに違いない。
 悪いことには、そういう時期に、長八が漆喰の色彩研究に没頭していたことである。祭
礼があっても出ようとしない。花見にも行かない。道楽を忘れたように、仕事と研究にう
つつを抜かしている長八が、おきんにとってはやり切れなかった。
 好きな人だから一しょになった。が、こういう態度では、おきんは不満だった。軽い口
げんかの末、おきんは一人で外出をするようになった。長八はそれを無関心に放置してい
た。元来、長八は金銭にこだわらない。おきんは派手好みだから、外出するたびに何かと
浪費する。それにも長八は注意がましいことは言わない。こうして、一見平穏な、しかし
危険な状態は出来てしまった。
 ある日、外出から帰ったおきんが、
「浅草で、おはつさんに会ったよ」
 と、土間でいつものように土を練っている長八に言った。
「おはつさんって?」
 長八がそのままの格好で聞いた。
「ほら、播磨屋で、一しょに居た………」
 おはつというのは、おきんと一しょに播磨屋で勤めていた女で、長八とも顔見知りのは
ずだった。
「ああ、あの人か」
 長八は思い出したように言った。
「深川に居るんだってさ。魚屋だって」
「へえ」
「それでね」
 おきんは、ここで長八の方へ顔を向けた。
「おはっさんは、小唄を習っているんだとさ。羨ましいわねえって言ったら、わたしに習
えって言うのさ」
「うん」
 長八はいいとも悪いとも言わない。
「わたしも習おうかしら」
 一人ごとのようにおきんは言った。長八はそれに返事はせず、せっせと土を練っていた。
 やがて、おきんは小唄を習いに、柳原の師匠のもとに通い始めた。遊芸は江戸の女にと
っては一種の教養であった。貧乏人はともかくとして、一般家庭では常識的なことであっ
た。おきんが小唄を習う気持ちも、その考えに通ずるものだったろう。
 が、それはまた、長八との張り合いのない生活からの脱却ではなかったろうか。長八は
おきんを一向に構ってくれない。家に居れば昼も夜も土いじりである。興に乗れば夜を徹
する。家のことは一切構わない。三島から帰ってからは、酒も飲まない。好きな新内も口
にしない。それでは、おきんは退屈である。こんなに無視されるのが、おきんには不満で
ある。だから、一人で出歩くようになった。女の憂さ晴らしである。しかし、それさえ長
八は何とも言わない。以前のような口争いもしなくなった。以前は好きだからこそ、言葉
の上のからみ合いもしたのだ。それで結構楽しかったと、おきんは思うのである。が、今
はそんなこともなくなった。二人とも、そういう若さを失っていたのかも知れない。
 そこで、刺激を求めるように、小唄を習い始めた。小唄を習うというより、外に出て日
々の鬱憤を晴らすためであったろう。
 こんな家庭事情で、何事もなく時は過ぎて行った。
 天保十五年十二月、改元して弘化元年となる。間もなく年が明けて、弘化二年である。
時局は次第に異状を呈して行くが、江戸の庶民は春を迎えて天下太平であった。一つには
水野忠邦が退任したせいでもあろう。
 長八の研究は、少しずつだが成功しつつあった。長八は、そうなると一層心を注いだ。
二月二十五日、亀戸天神の祭礼の日である。人々は春に浮かれるように群れていた。その
中に、珍らしく長八の姿があった。仕事の帰りに廻り道をした。遊びではなかった。長八
は研究をやる遂げたい一念で、天神に祈願する気持ちになったのである。
 人ごみの中を歩いて、思いがけなく遅くなった。家に着くと、もう暗かった。おきんは
居なかった。長火鉢にだけ湯がたぎっていた。長八が茶を飲もうとして、長火鉢の上の手
紙に気づいた。直ぐ手にとってみると郷里の淨感寺の正観上人からであった。昼のうち中
橋から届けられたものだろう。長八は障子を開けて、外の明るさに手紙を開いた。
 正観の達筆の手紙は長かった。
『春と共に多年の懸案であった本堂の大改築に着手した。ようやく今大よそその骨組みが
出来、これから細かい造作をするところまで漕ぎつけた。ついては、貴殿に(と、手紙に
ある。長八は面映ゆい気持ちで、その文字を見詰めた)壁の一切の仕事をやってもらいた
いが、どうだろうか。貴殿のことは、風の便りで、日本橋の茅場薬師のことをも聞き知っ
ている。江戸の評判も聞いて大変喜んでいる。その腕を是非とも郷里の菩提寺で示しても
らいたいのが拙僧の頼みだ。突然のことだが、こちらも急いでいるのでまげて帰郷して欲
しい』
 大体こういう文面だった。
 長八は、長い手紙を読み終えると、いや、読んでいるうちに、帰郷する決心をした。大
恩ある正観の一世一代の大事業である。報恩の機を逸してはならないと思った。一つには、
日頃の研究を発表し得る絶好の機会だと思った。まだ不十分ながら、ある成果には自信が
ある。新しい出発の記念として、故郷の寺に標識を立てるのもいいと思った。
 心の隅に若き日の悲しい傷がうずいた。再び郷里に帰るまじと、涙をぬらしたことを思
い出した。しかし、今はそれも遠い思い出のようにしか感じられなかった。
「まあ、真っ暗」
 おきんが障子を開けるなり、長八の姿を見て言った。
「どうしたのさ、灯もつけないで」
 おきんはとがめるように言いながら、行灯に火をさした。
 長八は黙って座っていた。おきんは構わず勝手場に入って水の音をさせていた。
 遅い夕食に二人は座った。長八は手紙のことをおきんに話した。そして、
「おれはどうしても行かなけりゃあならないが、お前はどうする」
 と言った。おきんは、格別考えるでもなく、
「あたし、いやだよ」
 と、にべもない返事だった。
「だって、ふた月になるか、三つ月になるかわからないんだぜ。その間、お前はどうする
んだ。どうして食って行くんだ」
「どうにかなるわよ。いいじゃないか、半年でも一年でも」
 おきんの口ぶりでは、長八を伊豆にやりたくない気持ちがあるようだった。半年でも一
年でもとは言っても、おきんに成算があるわけではない。
 しかし、長八は行かなければならなかった。おきんに、どれだけの蓄えがあるか、長八
は知らなかった。恐らく、そんな用意はあるまいと思った。中橋の親方に頼んで置こう、
長八はそう考えていた。
 翌日、………中橋に行って、路用の金を借り、おきんのことを頼んだ。その足で、長八
は東海道を下っていた。
 三島に着いて、茂平の家に一泊した。茂平は、茅場薬師の評判を知っていた。わがこと
のように喜んでくれた。長八は茅場薬師以来新しい道を拓こうとしていること、曲がりな
りにも成功しようとしていること、そして、淨感寺でそれを実証しようと思っていること
など、自分のことを率直に語った。それにも茂平は一層の喜びようであった。
 二人は久々で夜の更けるのを忘れて語り合った。三回目の出会いであるが、もはや二人
は肉親のような親しさで語り合う間柄になっていた。
 沼津から船路を故郷に向かった。故郷が近づくにつれ、故郷の島山は、長八にさまざま
の回想をよみがえらせた。七年前の父の死と失恋の痛手、そして、自棄の生活、………遠
廻りをしていたという感慨が深かった。が、もはやそれも遠い過去のものであった。今は
おむめにも金五郎にも、何のこだわりもなく会って話せると思った。今となっては、むし
ろ二人に会いたいとまで思うのだった。
 故郷はさすがに南国らしく春たけなわであった。桜が咲いていた。浜畑に桃の花が咲い
ていた。若葉が風にそよいでいた。
 朽ちかけたわが家の軒下を潜った。七年前と少しも変わらない暗いよどんだ夜がこもっ
ていた。暗い灯かげで寄り合うように、母と姉と弟が仕事をしていた。末の妹のふでは傍らで遊んでいた。
「兄ちゃんだあ!」
 と、弟の寅吉が叫んだ。母と姉がびっくりした顔を行灯の明かりの中に浮かばせた。七
年前の帰郷の時、突然江戸へ帰ってしまって、それなり音信もなかった長八であった。母
が江戸に来ても遂に帰らなかった長八であった。その長八が、前と違った姿でここに現わ
れたのである。母も姉も、つもる話があった。長八にも尽きぬ話があった。
 灯心の火がジジジと音を立てた。弟の寅吉はいつかその場に眠っていた。
 長八は淨感寺の話をした。
「そうだってなあ、和尚さんから聞いていたよ。和尚さんはきっと来ると言っていたっけ」
 と、母は承知していた。正観から聞いたらしく、母は茅場薬師の評判も知っていた。
「あの時、わしが江戸に居て、無理なことを言って悪かったと思うよ」
 と、母は言った。
 長八は淨感寺の仕事についても話した。
「当分厄介になるから、姉さん頼むよ」
 長八は明るく姉に言った。

                  F

 翌日淨感寺に行った。本堂はまだ足場を残してはいるが、もう屋根瓦は葺かれて、大方
の形は出来ていた。真新しい本堂と対照的に低いすすけた庫裡が並んでいた。湿地だから、
本堂は石組みをした上に建てられ、一段高く堂々としているのに、庫裡は低く小さく、湿
地にめり込むようにうずくまっていた。長八は本堂に向かって合掌し、庫裡の石畳を曲が
った。少年の頃からの習慣のように。
 案じていた通り、正観夫婦はめっきりと年をとっていた。格別、正観はやせ細っていた。
体が弱って、この頃は寝たり起きたりの毎日だと、妻のたきえは沈んだ声で話した。あん
なに話し好きだった正観が余り話さないのもさびしかった。本堂改築の資金を得るために、
どれだけ無理をしたか、長八には十分察せられた。淨感寺のような貧乏寺は檀家の拠金な
どでは到底足りない。正観は近郷近在は言うまでもなく、恐らく下田の方まで勧進の足を
のばしたことであろう。
 しかし、正観夫婦は長八の帰郷を喜んだ。やはり、ここにもつもる話があった。塾頭の
福太郎は、改築のため塾がなくなったのを機会に郷里を去ったという。宗三郎は江戸で修
業中である。皆それぞれに成人したことを喜びながら、正観はさびしげであった。
 正観は病体を押して、長八を普請場に案内しようと立ち上がった。よろめいて、長八の
肩に抱きつくようにしてやっと支えた。二人は寄り添って、ごった返している本堂に入っ
た。顔見知りの大工たちが、長八と知って、笑顔で迎えた。まず大工棟梁の石田半兵衛が
にこやかに近づいて来た。
 半兵衛は長八より十五歳ほど年長で、名前と顔は知っていたが、親しく口をきくことは
なかった。半兵衛の屋号は「江奈の札場」といい、先代も半兵衛を世襲する宮大工の家柄
である。その名は伊豆、駿河、相模、甲州までとどろき渡る腕の持ち主である。やがて帰
一寺の建築、三島大社の彫刻に携わる。この時、四十歳半ばで風格ある風貌、一つ一つ身
のこなしに自信が満ち溢れていた。傍らに若者が一歩下がって立っていた。後に長八とも
関わりを持つ馬次郎で、半兵衛の長男である。眼光鋭く長八を観察していた。
 半兵衛は、ゆとりある声で、
「よろしく頼むよ。貴殿の名は茅場薬師のことで知っている。左官の方は思う存分に腕を
振るってくれ」
 と、長八の肩を軽くたたいて言った。
「へえ」
 長八は小声で恐縮したように答えたが、職人同士、丁々発止と火花を散らしていた。
 半兵衛の後日談だが、三島大社神主、矢田部盛治の日記に『安政四年十月十六日、彫工
後藤芳治良を、同五年二月十四日、彫工小沢半兵衛、同希道を雇い入れ、弟子たちと共に
従事させた』とある。半兵衛につけられた小沢姓は、馬次郎が甲州入りして小沢一仙を名
乗った後で、希道は一仙の弟富次郎である。
 ひとわたり見廻して、半兵衛から仕事の部分を確かめた。そこで、早くも長八は構図を
考えていた。
 外の大工も、
「長さん、元気だけえ?」
 と、懐かしい伊豆言葉が聞こえて、長八の胸にしみた。
 そして、何故かあの異様な眼光の馬次郎が気になってならなかった。聞けば、父の仕
事を見習いながら、淨感寺塾へ通うが、一を聞けば百を知る神童だという。
 長八は四、五日の暇をもらって構想を練った。そして幾度も下絵を書いては捨てた。も
う三月であった。故郷は眼の前の牛原山の桜が美しかった。懐かしい目白の声が聞かれた。
そして静かだった。ようやく下絵が出来て、長八は正観に見せようと思って家を出た。
 淨感寺の門前で、ばったり金五郎に出会った。金五郎はまだ四十歳を越えたばかりなの
に、すっかり老いぼれた格好に見えた。うっかり見損じるところだったが、向こうがぴょ
こんとお辞儀をしたので、つい眼をとめた。そして金五郎だと知ったのである。
「しばらくです。金さん」
 と思わず声が出た。
「長さんだねえ」
 確かめるように金五郎は言った。力ない声だった。
「そうです。長八です」
「やっぱり長さんだった」
 金五郎は汚れた歯を見せて、何かさびしそうに微笑した。
「皆さん、元気で」
「ええ、まあ」
 長八はおむめのことを聞きたいと思った。親方の仁助のことも聞きたかった。が、そう
思っただけで止めた。金五郎の姿から、何となく聞いてはいけないと感じたのだ。
 すると、
「江戸での評判を聞きましたよ」
 と、金五郎が言った。
「ああ」
長八は茅場薬師のことだと思って、
「あれはまだまだです」
 と言った。
「いつ帰られました?」
「四、五日前」
「淨感寺の仕事ですってねえ」
「ええ」
「故郷に錦を飾るってところですねえ」
「いやいや、飛んでもない」
 二人とも旧怨を忘れて立っていた。
「親方もお元気で?」
 長八は、つい口にしてしまった。
「四年前になくなりました」
 さっぱりとした声で、金五郎が答えた。
「そうでしたか」
 長八は新たな感慨が湧いた。
「二月の十四日です」
 金五郎が付けたすように言った。四年前の二月と言えば、茅場薬師の仕事中の頃となる。
あの時、母親が江戸に来ていたが、そんなことは何も話さなかった。
「それはちっとも、知らないで」
 と、長八は頭を下げた。
「おむめさんは?」
 長八は無造作に言った。そんな気持ちが不思議に思えた。が、金五郎の顔が突差に暗く
かげったのを感じとると、言わなければよかったのにと後悔した。
「おむめは居りません」
 金五郎は歪んだ口で言った。苦いものを吐き出すようであった。どうして?と聞きたか
ったが、長八は口をつぐんだ。金五郎の顔が青ざめて来るようだった。
「失礼します」
 走るように、金五郎は後ろを向けて歩き出した。
 後で、母親からおむめの話を聞いた。おむめは金五郎と結婚すると、当座は幸福そうに
見えたが、半年もすると夫婦げんかをするようになった。仁助が死んだのも、母親が後を
追うように死んだのも、そういうことが原因のようだった。両親の死後は二人の中は一層
悪く、毎日のように争いが絶えなかった。弟子たちも一人減り二人減り、今では金五郎一
人で細々と暮らしているという。子供も一人生まれたが、それも早死にして、面白くない
日が続いた。ところが、去年の秋、旅芸人の一座が興行した時、女形の市川某という役者
におむめは夢中になり、二人はとうとう駈け落ちしたのだという。江戸に行ったという話
だが、間もなく別れたといううわさもある。今はどうなっているのかわからないらしいと
いう。
 長八は苦い思いでその話を聞いた。自分にも責任の一端があると思った。
 淨感寺に行って、正観に下絵を見せると、正観は一応下絵を手にしながら、
「お前の思うようにやってくれ」
 と、長八に一切を任せた口振りだった。実は、もう直ぐにも仕事に掛かれる状態であっ
た。正観は早く完成することを切望していたのかも知れない。
 そう察すると、長八は早速仕事に掛かることにした。まず本陣の天井から始めた。天井
は縦二間、横三間の広さに、得意の竜を描くつもりだった。足掛かりを組み、下塗りをし
た。一日置いて白漆喰を塗った。半乾きの上に、一面に紙を張った。幾枚も張り重ねた。
仕事中の大工たちが、様子を見に来ては、首をかしげてもどって行った。
 天井が乾く間を、欄間や壁を塗った。天井が乾くと、再び足掛かりに登って、長い間か
かって墨をすった。いくつかの容器に墨汁が次々と満たされて行った。
 昼過ぎ、ようやく墨をすり終わった。大きな筆に墨汁をたっぷりしみ込ませた。そして、
ゆっくりと天井に眼を向けた。大筆を両手で持って、体を斜めに構えた。いきなり、大筆
は天井にはっしとぶっつけられた。墨汁が散った。滴々と足掛かりの座に落ちた。大筆は
構わず走った。天井を旋回した。薄く濃く黒が渦巻いた。と、今度は、その渦の空間に竜
の顔がのぞいた。胴体がうねった。一転して、かすれた筆が渦の中に渦を描いた。そのた
びに墨汁は落ち散った。最後に竜の眼を点じた。一瞬の間の出来事だった。天井の竜はら
んらんと地上をにらんでいるようであった。そこから墨汁が滴々と尚落ちていた。
 翌朝、正観は大工たちからその話を聞いた。たきえの肩にすがりながら、本陣に来て、
竜を見上げた。ひしめく雲の渦が竜と共に動いているように見えた。竜は生き生きと眼を
光らせ、爪をとがらせて、気魄に満ちていた。躍動していた。筆は雄揮だった。
「うーん」
 と正観は感嘆した。
「立派ですねえ」
 と、たきえは飽かず天井を見上げていた。
「長八が、こんな立派な仕事をするとは」
 正観はしみじみと言った。子供の頃の長八が眼に浮かんだ。夢のような気がした。
「いい男になりましたねえ」
 たきえもうれしそうに言った。
 次には、正面の欄間一面に飛天の図を描いた。これこそ、長八の四年間の努力の最初の
作品である。雲の上に天女が舞楽している図である。漆喰に鮮やかな色彩が施されて、そ
の表現は巧緻で丹念である。
 こうして仕事は順調に進み、三月が終わろうという日、江戸大火の報が江戸からの帰り
船によってもたらされた。三月二十七日、日本橋一帯が焼け、その時、伝馬町の牢獄も火
に囲まれて、止むなく囚人たちを開放したため、市中は不安にからわれているというよう
な話であった。後でわかったことだが、火事は収まってももどらなかった囚人の中に、高
野長英が居た。そのため、探索の手が伊豆の辺隅にまで及んだ。
 日本橋一帯が焼けたとすると、長八は中橋の波江野亀次郎の家が気に掛かった。しばら
くの暇をもらって、急いで江戸に帰った。
 江戸に着くと、波江野一家は無事だった。安心して、久しぶりで割下水のわが家に一夜
を過ごした。案じていたおきんだったが、本人は至って気楽に暮らしているようだった。
翌日、長八は元来た道を引き返していた。
 七日ばかりの留守の間に、本堂の形は八分通り整っていた。長八はせき立てられるよう
に、仕事に掛かった。ある日、半兵衛が柱に取り付ける唐獅子を彫刻していた。それを観
察していた長八は道具を借りて木彫に挑んだ。始め遊び半分だったが、半兵衛はその見事
さに感心し、自分のを右に、長八の作品を左に取り付けた。
 ところが、四月半ばから、正観の病状が急に悪くなり、しばらく工事を休止して、正観
が静養出来るように、ということで、完成間近で仕事を止め、長八は正観の看病などをす
るはめになった。
 正観の病気は何であったかわからない。春の気候に災いされたのであろうか、気力がな
く、すっかり寝たきりになってしまった。やがて五月の雨季を迎えた。病状ははかばかし
くなかった。六月になって、雨季はようやく乗り越えたが、その代わり暑い日が続いた。
正観は眼に見えて衰弱していった。食欲も次第に少なくなり、日々にやせ細っていくよう
であった。
「寺の再建を見ずに死ぬのが残念だ」
 と口癖のように言い続けて、六月二十一日、正観は永眠した。享年六十四歳であった。

                   G

 余談になるが、正観夫婦は、妻と縁続きになるおもんという娘を養女にして、これに婿
をとり、ゆくゆくは淨感寺を相続させるつもりだったが、婿は一年余りで、寺も妻も捨て
て出て行ってしまい、おもんは、正観の死ぬ二十日前に女児を分娩していた。この女児が、
後に長八の養女になり、松崎村の入江の跡を継いだおしゅんである。本堂改築の大事業の
心労の上に、こうした家庭的な事情が、正観の死を早めたのではなかろうか。
 正観の死によって、本堂の完成はまた延期せざるを得なかった。正観の葬儀もある。そ
のための準備もある。長八は江戸へ帰るわけには行かない。二た月三つ月と思っていたの
が、思い掛けないことで、四つ月、五つ月になってしまったのである。
 この忙しい間を縫って、長八は正観上人の画像を描く。追慕冥福のためであった。この
画像は、今も淨感寺にあるが、精魂こめて描き上げたことが一目見ればわかるほどの作品
である。
 やがて、七月の盆が過ぎ、正観の四十九日忌もすんで、本堂の工事は再び始められた。
工事は完成に近かった。人々は急いでいた。八月に入って、急速度に仕事は進んだ。あと
一息であった。
 ところが、悪いことに台風季に入っていた。台風が襲うと、数個所が破損した。八月半
ばには、屋根を手きびしくやられた。寺の構造は、江戸の祐天寺を模して、屋根を高くし
てあった。それが原因であった。結局、棟の高さを一丈切り下げて、上部を作り直すこと
になった。
 さし当たり、瓦を新たに注文するために、長八は伊之助という左官と二人で、駿府まで
買いに行った。清水へ海を渡り、瓦を船積みして引き返す。その間に、棟の高さを下げる。
こうして、仕事は手間取って、長八の仕事ものびのびになっていた。
 大工の仕事が完了したのは九月に入ってからであった。その後を、長八は壁の仕事に掛
かる。そして、ようやく九月末に完成した。
 正観上人の百か日の法要は十月に行われた。この時、新装の寺が公開されて、長八の鏝
絵が世間の人の眼に触れた。
 十二月十五日開眼供養。これで一切の行事が終わったことになる。
 だが、長八の鏝絵の妙技を知った人々は、思い思いに長八の作品を求めて来て、断り切
れぬままに製作しているうちに、とうとうその年を越してしまった。正月をすましたなら
江戸に帰ろうと思っていたが、それもならず製作に追われていた。
 一月末、またも江戸大火の報が伝わった。いい機会であった。長八は急いで故郷を発つ。
三島で茂平に会って、直ぐ箱根を越えた。
 思えば、長い帰郷であった。思いがけない出来事で、ざっと一年近く過ぎてしまった。
毎日のようにおきんのことが気にかかったが、どうにもならなかった。江戸に近づくにつ
れて、おきんはどうして暮らしているだろうかと、心にかかった。
 江戸に入ると、大火の状況は直ぐわかった。小石川から京橋に掛けて一面の焼野だとい
う。とすると、中橋はどうであろう。亀次郎一家は無事だろうか。そう思うと、長八は真
っ直ぐ京橋へ向かった。
 京橋に近づくにつれて、焼けぼこりがにおい、風にあおられて空に舞い、空は一面に黄
に濁っていた。もう日暮れの色がただよっている。この辺が京橋だろうと思われるあたり
で、ぼーっとした埃の中に、地上を這う亡霊のように人影が動いていた。点々と仮小屋ら
しきものが建ち、そこからだけきれいな白い炊煙が流れていた。京橋の地理をよく知って
いるはずの長八だったが、この荒涼たる焼野の原では幾度も道に迷った。
 ようやく、波江野の家跡と思われる所にたどり着いた。跡形もなく焼けていた。そこに
立札が立っていた。夕明かりにたどり読んだ。家族だけは八名川町の播磨屋に移っている
ことがわかった。
 長八は深川へ急いだ。すっかり日が暮れていた。早春の風が冷たかった。
 八名川町の播磨屋には、茶室風の離れがあって、そこに亀次郎一家は狭苦しく住んでい
た。亀次郎は元気だった。早くも火災後の仕事に意欲を見せていた。そして、長八が帰っ
て来たことを、力を得たように喜んだ。
「今夜は晩くて、夜道は物騒だから、ここで泊まっていけ」
 と亀次郎が言ったが、長八は遠慮した。親子五人の所へ割り込むわけにはいかなかった。
「なあに、源次郎さんのとこで泊まればいい」
 とも言ってくれたが、おきんの顔も見たかった。亀次郎はそれを察して、
「それもそうだな。早く帰ってやれよ」
 と言った。
 播磨屋にも顔を出し、源次郎夫婦に引き止めるのを、無理に断って、外に出た。もうど
こも寝静まっていた。人っ子の影のない道を長八は割下水のわが家に急いだ。冷たい風が
暗を走っていた。低い屋並の下を曲がり、小橋を渡った。もう直ぐ懐かしいわが家だった。
 わが家は黒く沈んでいた。長八はとざした雨戸の前に立って、ほっと一息した。が、次
の瞬間に、さっと不審が頭をかすめた。雨戸の破れ目からは灯かげが見えなかったからで
ある。
「おきんの奴、真っ暗にして寝ているのだろうか」
 そう思った。
 雨戸をたたいた。中から返事がなかった。雨戸に手を掛けると、造作もなく開いた。や
はり、中は真っ暗だった。ひやりと冷たい空気が人気のないことを感じさせた。
「おきん」
 と長八は呼んだ。返事がない。もう一度、暗をすかすように呼んだが、やっぱり返事は
ない。
「どうしたのだろう」
 長八はそうつぶやいて、膝から歩いて、手さぐりで行灯を探した。行灯に火をつけた。
ぼーっと明るさがひろがった。家の中が浮かんで来た。
「おきん」
 もう一度呼んだ。呼んでも無駄だとわかっていながら、つい口から出た。返事はなかっ
た。
「どうしたのだろう」
 と、同じことをつぶやいて、長火鉢に手を当てた。火鉢の炭火は白い灰になってくぼん
でいた。ほとぼりも感じられなかった。
「どうしたのだろう」
 長八は、長火鉢に頬杖をついて考えた。思い当たることは何もなかった。
 雨戸のきしむ音がした。長八は顔を上げて、
「おきんか」
 と雨戸の方に向かって言った。が、返事はなかった。返事の代わりに、雨戸ががたがた
と鳴って、黒い影が入って来るのが見えた。
「長さんかい」
 しわがれた声は、隣家の喜作老人だった。
「喜作さんか」
 と長八は言ったが、喜作老人は黙ったまま、膝をひきずるように、灯明かりの中に姿を
浮かせていた。喜作は長火鉢に手をやると、もたもたと力なさように座った。
「長いこと留守をして、お世話を掛けました」
 長八は改めて礼を言った。喜作は黙ったままで、うなずいた。背中を丸めて、火鉢に寄
り添うように膝を動かしていた。
「おきんは居ないんだが、知りませんか」
 長八は、喜作老人がこんな夜中に来るのは、おきんのことを知らせるためだろうと思っ
ていた。さっぱり老人が言わないので、こっちから促すように言ったのである。喜作は歯
の抜けた口をもぐもぐ動かし、やがて話し出すのである。
「長さんよ」
「へえ」
「おきんさんはなあ」
「どっかへ行ったんですか」
 長八がもどかしくそう言うと、喜作は頭を振ってうなずいて見せた。
「どこへ?」
「それがな」
「川越の家へでも?」
「いや」
「どこです」
 長八はじれったくなっていた。と、喜作老人は、ぽつりと言った。
「それどころじゃねえんだ」
 長八は、しかし、何のことかわからない。
「何です?」
 思わず急き込むように言った。
「おきんがどうしたんですか」
 喜作老人は、すぼんだ口を小さく開けて、一つ咳をした。
「びっくりするんじゃねえぜ」
 そう言って、喜作は唾を飲み込むように首を振った。長八は、ふと不吉なものを感じた。
もどかしかった。
「早く話しておくんなさい」
 促すように言った。
「おきんさんはな」
 と、またここで途切れた。が直ぐ、
「出ちゃったらしい」
 と言った。
「出ちゃった?」
 長八はおうむ返しに言った。どういうことか判断しかねた。しばらく考えた。が、何の
ことか想像もつかなかった。
「一体、それはどういうことです」
 喜作は、それでも言わない。
「喜作さん、正直に話して下さいよ」
 長八は懇願するように言った。
 喜作老人はやっとのことで話し出した。ゆっくりと、途切れ途切れの話の荒筋はこんな
ことだった。
 長八が伊豆に出向いた後、おきんは毎日のように外出していた。小唄の稽古が主だった。
始めは喜作老人に留守を頼んで出たが、そのうち、黙って出て行くようになった。長八が
一度もどって、直ぐ引き返した頃から、どうもあやしい素振りが感じられたが、間もなく
旗本だという三十歳位の侍が訪ねて来て、時には上がって話し込んだりしていた。どうも
おかしいと思うようになったのは、夏頃から三日に一度はやって来て、時には泊まって行
くこともあるようだったからだ。そうこうしている中に秋になって、不意におきんの姿が
見えなくなった。もう三月にもなるというのに、おきんは一向に姿を現わらさない。近所
のうわさでは、あの旗本と仲よくなって、どこかで別な世帯を持っているという。
 長八は、しどろもどろに語る喜平老人の言葉を聞き終わって、不思議に平静な自分を怪
しんだ。

                  H

 おきんの失踪については、思いがけないことであったが、考えてみると、思い当たるこ
とはいくつもあった。
 伝説によれば、その旗本というのは三百石取りとかで、深川に住んでいたという。名前
はわかっていない。江戸末期の旗本の通例として、この男も芸事を好み、おきんの通って
いた小唄の師匠のところに出入りしていた。その師匠とも、とかくのうわさがあったとい
うが、そんなことはどうでもいい。要するに、当時のありきたりの遊び人で、太平逸楽の
御家人の典型的な人物であったようである。
 おきんがそういう男に接して行ったことは、恐らく、空閨のさびしさからであったろう。
おきんは多数の男を経験して来て、それなりに淫蕩さと無知とを持っていたかも知れない。
そういうおきんの体が、旗本の遊び心に火をつけたのかも知れない。
 隣の喜作老人が、背を丸くして帰って行った後、長八は、火の気のない長火鉢の前で、
いつまでも座っていた。
 長八にも一半の責任がある。伊豆へ行く時、遅くも三か月と口約束をしながら、事情は
ともあれ、一年近くも帰らなかったということは、おきんにとっては不安でもあり、堪え
がたかったことかも知れない。
 悪いことには、出発前の二人の冷たい感情が解けないままになっていたことである。二
人の眼に見えない距離は、長い月日の間に、おきんの気持ちの中で、だんだんと大きくな
って行ったかのかも知れない。
「もしかしたら、帰って来ないかも」
 と、おきんはそんなことを考えたであろう。それは、母親が江戸へ来た時のことを考え
れば当然の予測でもある。
 そういう不安な気持ちが、空閨のさびしさと結びつき、旗本との交情に一層拍車をかけ
たとも察せられる。そう思うと、おきんを責める気はなかった。
 もともと、不義で結ばれた仲だった。若さがけだもののように愛欲を求めて、それだけ
でつながっていたような夫婦だった。こうなるのも当然なのかも知れない。
 が、長八は何となくさびしかった。とりとめもなくおきんのことを思っていた。別に女
々しい気持ちはない。怨みも憎しみもない。が、しかしさびしかった。
 いつの間にか、長八はそのまま眠ってしまった。気がついて、押入れから布団を出して
寝たが、おきんの匂いが鼻をついて、今度は思うように眠れなかった。遠くで鶏の声がし
て、眼を開けると、暁の薄光が枕元ににじんでいた。
 長八は、がばっと跳ね起きた。おきんのことにこだわっているわけには行かない。今日
から亀次郎親方の職人として立ち働かなくてはならないのだ。
 長八は勝手場に下りた。僅かに残っていた米を掻き寄せて飯を焚いた。食べる物は、外
に何もなかった。長八は味気ない思いで朝食をすまして、急いで中橋へ走った。
 亀次郎の指図に従って、長八は日本橋の仕事に加わった。ほとんどが仮普請で、一日に
二軒三軒を持ち廻る仕事だった。仕事の合間に、おきんのことを思い出すこともあった。
仕事がすんで、日暮れの道をたどっていると、もしや、おきんが帰っていやしないかなど
と思ったりした。未練はないと心の中では思っていても、つい思い出そうとするのが不思
議だった。
 三日ばかりして後、仕事の帰り道で、ふと小唄の師匠を訪ねてみようと思った。そんな
ことはどうでもいいじゃないかと思いながら、足はいつか柳原の方角へ向いていた。柳原
の狭い路次を探し廻って、やっと小唄の師匠の家を見つけたが、看板の前にちょっと立ち
止まっただけで、長八はそのまま引き返した。そんな未練がましいことがいやになったの
である。
 割下水の家にもどると、いやでもおきんのことが思われた。家の中の何もかもに、おき
んの匂いがしみついているようだった。日が経つにつれて、それがだんだんいとわしくな
って行った。
「早くここを抜け出したい」
 と思った。長八の心には、鏝絵のことが消えていない。むしろ、以前よりも強く燃えて
いるようだった。郷里での製作が、一種の自信を生んでいた。新しい工夫をも示唆してく
れた。が、割下水の家では、いつもおきんの匂いがして、長八の心を鏝絵の方に向けさせ
なかった。以前からそうであったように思う。おきんが居たために、長八は今までの研究
にも思うように打ち込めなかったような気がした。どこかで停滞し、何かで無駄をしてい
たようだった。おきんが居ないと、思う存分に考えたり働けたりしたように、今までの仕
事ぶりを思った。
 おきんがいなくなったと知って、不思議に平静だったのは、そうした気持ちがあったか
らなのかも知れない。
「が、この家に居ては駄目だ」
 と長八は思った。座っていても、寝ていても、おきんの匂いが鼻についた。
「どこかへ引っ越そう」
 そう思った。そして、ほんとにさっぱりした気持ちで、思う存分に鏝絵の研究をしたい
と思った。この家に居ると、おきんの匂いの中から、おきんとの長い交わりが、なまなま
しく映った。川越でのこと、深川八幡での自棄と惑溺の生活、偶然再会した時のこと、そ
して人目を避けて過ごした幾年かのわびしい生活、………それらは、すべて空しいものに
思われた。が、その空しさは、すべて己れの心に尖った矢のように突き刺さった。そうい
う、暗い、悪魔のような過去から早く抜け出したかった。
 いつか二月が過ぎ、三月の若葉の季節となった。大火復興は、次第に仮建築から本建築
に移って行った。そして、日本橋一帯の商家は、ほとんど店蔵式(土蔵造り)にするとい
うので、勢い左官の仕事は忙しかった。
 亀次郎は、自分の家も土蔵造りにすることにし、亀次郎自身が建築の采配を振るってい
たから、他の商家の工事の方は、三人の職人を棟梁代理として働かせていた。長八はその
一人として、毎日日本橋へ通っていた。
 今ではもはや跡形もないが、伝説によれば当時長八が指揮して建築した家は、二十数軒
に及んでいた。その家々には、さながら長八が署名のように、どこかに彼の得意の鏝絵が
残っていたという。先に述べたように、欄間の一隅とか、屋根の角とか、軒下とか、倉の
戸前とか、比較的目立たないところに、さりげなく何かが描かれていた。屋びさしの角に
何か妙なものが見えるというので近寄って見ると、雀が巣からのぞいている。新しい建物
に、雀が巣を作るとはおかしいと思って、よくよく見ると、雀の子はいつまでも顔を引っ
込めない。長八がいつの間にか作った作品であったのだ。欄間の隅に鼠を塗ったりして、
主人がそれを見付け、福の神だといって、大層喜んだとか、床の間の下に野菊の乱れ咲き
を描いたとか、たくさんの伝説があるが、こういうさりげない伝説の中に、当時の長八の
ひたむきな心がうかがわれるような気がする。
 仕事は忙しかった。次々と仕事場を移って行った。たちまち、夏が過ぎ、秋が過ぎ、や
がて年が暮れようとした。七、八分通り出来たが、まだ少々の仕事を残して、弘化四年の
春を迎えた。
 正月は仕事を休んだ。職人たちは、それぞれ、日頃の忙しさを忘れて正月を楽しんだ。
が、長八は、割下水の家で、朝から晩まで土をいじっていた。忙しい仕事の間にいろいろ
考えたことがあった。それを実験しようというのである。
 が、正月は束の間に終わった。三が日がすむと、また忙しい仕事に掛かった。
 弘化三年から四年に掛けて、外国船がしきりに日本近海に出没した。幕府は少しずつ外
国事情を理解するようにはなったが、鎖国の方針は頑強に守っていた。従って、依然とし
て海防だけを力説するだけだった。こう頻繁に外国船が接近するのを知ると、改めてまた
諸藩に海防を布告し、厳戒の勅令さえ出した。弘化四年三月、外国人が蝦夷松前に上陸し
たといううわさが江戸の市民を驚かせた。
 そんなある日、長八が仕事から帰ろうとすると、亀次郎からの使いの者が来て、直ぐ中
橋まで来るようにということであった。こんなことは、忙しい仕事の間にもよくあること
だったから、長八は別に何ということもなく、その足で中橋へ急いだ。
亀次郎の家は、去年のうちに竣工していて、すっかり落ち着いた様子だった。
 亀次郎は、一人で座敷に待っていた。
「座れ」
 亀次郎は、長八の姿を見ると、直ぐそう言って、前の座布団に座らせた。
「何か、急ぎの用ですか」
 と、長八はかしこまった。
「いや、いや」
 亀次郎は笑って手を振った。
「急に、お前と話がしたくなってな」
 とぼけたように言った。
 そこへ女中が膳を運んで来た。七ツ時というのに、もう外は暗かった。
「飲もう」
 亀次郎が長八に盃を持たせた。
「たまには、こうして一しょに飲むのもいいな」
「そうですね」
 二人は酒を酌み交わし、復興の忙しさの中で拾った世間話がとりとめもなく続いた。長
八はしばらく忘れていた酒だったから、直ぐに酔いが廻って来るようだった。
「さて」
 話の途切れたところで、亀次郎は改まった調子になって、
「ちょっと、お前さんに折り入っての話がある」
 と切り出した。
「へえ」
 長八は誘われるように、膝を揃えた。

                                            第4章 終り

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