伊豆の長八年譜

                              伊豆長八保存会 関  賢 助

文化12年(1815)8月5日 松崎村明地に生まれる。父・兵助、母・てご。
文政 4年(1821) 7歳 淨感寺塾に入り、住職・正観上人の教えをうける。
               正観夫人は長八の遠縁で、子の無いことから実子のよう
               に可愛がった。
文政 9年(1826)12歳 近くの左官・関仁助に弟子入りする。
天保 4年(1833)19歳 江戸に出る。
天保 5年(1834)20歳 京橋 波江野亀次郎の職人となる。
天保 6年(1835)21歳 川越に行き、谷文兆の高弟・喜多武清につき狩野派の絵
               を学ぶ。
(このことが後の作品に大きく影響する)
天保12年(1841)27歳 日本橋茅場町 薬師堂再建工事に参加、左右の御拝柱に
               「登り龍」「下り龍」制作。
(江戸の話題となる)
弘化 2年(1845)31歳 淨感寺住職・正観上人没す。
弘化 3年(1846)32歳 淨感寺本堂天井「雲龍」、欄間「飛天」など制作。
               棟札に
彩色入江長八と記す。
嘉永 6年(1859)39歳 目黒 祐天寺祐興上人(松崎・淨泉寺より転任した僧)
               に参禅し、仏典を講究して
天祐の号を受く。
安政 3年(1856)42歳 成田山新勝寺に塗額「臼と鶏」を奉納、
「天祐」の落
               款あり。
文久 2年(1862)48歳 「秋江帰帆」
乾道山人の落款。屏風「舞」「橋戸稲荷」
               など制作。
慶応 2年(1866)52歳 祐天寺祐興上人没す。「三保松原より富士眺望」制作。
明治 4年(1871)57歳 波江野亀次郎の次男・竹次郎を養子にする(3代目長八)
明治 8年(1875)61歳 戸田村に滞在し、翌年にかけて松城家や、太田家の壁画
               などを装飾、松崎町で「神農像」岩科村役場「ランプ掛
                けの龍」「春暁の図」「貴人寝所の図」「天袋・らんと
               たけのこ」「寒梅の掛け軸」など制作。
明治 9年(1876)62歳 松崎町伊那下神社「神功皇后」「応神天皇と竹内宿弥像」
               西豆泥工組合「聖徳太子画像」他に「近江のお兼」「双
               象と童子」「依田直吉像」「龍」「森家の家族」「相生の
               松」など、多くの作品を制作。
明治10年(1877)63歳 内国勧業博覧会「富嶽」出品。
山岡鉄舟と三島市龍沢寺
               の禅席で知り合う。
明治11年(1878)64歳 三島市龍沢寺に「不動明王」「二童子の像」隠寮の諸作
               品を制作。星定老師より居士号を受ける。
この後、天祐
               居士と記す。

               
清水次郎長と知り合い「山岡鉄舟像」を贈る。「水月観
               音」龍沢寺「天孫降臨」制作。
明治12年(1879)65歳 三島市龍沢寺に「星定老師像」不動堂の献額を制作。 
明治13年(1880)66歳 松崎町 岩科学校「千羽鶴」「美人賞蓮の図」「山水図」
               春城院「弁財天」「大黒天」「毘沙門天」などと素焼き
               の焙烙に「静御前」制作。
明治16年(1883)69歳 松崎町 春城院「十六禅神画像」を寄進。
明治17年(1884)70歳 「晴江吟眺」「百福神」制作。 
明治19年(1886)72歳 山岡鉄舟のため東京都谷中の全生庵に「石彫地蔵像」を
               建立。
明治20年(1887)73歳 淨泉寺・不動堂に「絵馬」を奉納。「寒牡丹」制作。
明治21年(1888)74歳 山岡鉄舟没す。
               「宝州和尚像」(春城院)「天鈿女命像」「我眉山」「素
               盞鳴尊」(軸)制作。 
明治22年(1889)75歳 壁画「蒲湘八景」松本家。門人・石井巳之助の依頼を受
               け「仰誉天祐乾道居士」の肖像位牌を造る。
          10月8日 深川 八名川町で没する。(享年75歳)
               
辞世「わが秋や月一夜も見のこさず」
      
(年齢は数え年) 




     ▲白衣観音(長八美術館)                ▲ランプ掛の竜(長八美術館)

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