広報部レポートバナー職人共和国


工藤省三氏設計(道路側)

工藤省三氏設計(正面)

工藤省三氏設計(美術館側)
基本理念 松崎夢の蔵 木釘つくり 木組み(ほぞ) 基礎工事
森林の思考・砂漠の思考 地 鎮 祭 建前祝詞(木遣り)1.4 瓦 葺 き 棟 上 げ
国民文化祭との関連 地鎮祭祝詞・式次第 HP立ち上げ11.5 荒壁用土練り11.8 小舞かき
広報「まつざき」 建築材の用意 土扉に魅せられて11.6 荒壁塗り11.10 土蔵壊し11.19
ムラの鍛冶屋11.28 中塗り土 土蔵を造ります12.20 仕事納め12.28 土の引き戸
大鋸(おが)1.20 中塗り作業2.1 昔ながらの漆喰2.23 瓦みがき2.23 静岡国文祭 3.4
蔵つくり隊に参加して・高木澪 高校生の参加 墨だしと瓦貼り なまこ壁下塗り@ 町章が塗られる
女性パワーに感謝 職人気質(かたぎ) 国文祭ガイドブック 左官棟梁として 美術館25周年
いよいよ国文祭 デジカメセンス 静岡沖地震 小5育也君の作文 絶賛・絵本高校生
縁の下の力持ち  国文祭・グランプリ   

基本理念(試案)
  「松 崎 夢 の 蔵」 (職人共和国=暗黙知)
         =持続型社会を目指して

                              松崎蔵つくりたい広報部 松 本 晴 雄

 カルチャーとは、文化・教養、もと耕作の意と、辞典にある。ゆえに各地に異質な花を
咲かせ、人々は輝き、再生という心を持続可能にしてきたのである。しかるに現在は、利
便・平均化の名のもとに全国画一的となり、地方は荒廃の一途をたどる。ひとは本来、耕
す作物・食するもの、周囲の環境によって生活パターンを変えるものである。その歴史・
文化の誇りを下支えに生き続けてきた。風土によって常識が変わるのは必然で、野蛮と呼
ばれ、非文化とののしられる筋合いのものではない。静かにその生活に満足し、はみ出さ
ず、平和を楽しむ部族がいたら、そっとしてあげるのが人間愛というものだろう。

 私は、グローバル近代経済・市場原理主義に大いなる疑問をもつ。巨大ファンドマネー
を組んで地球規模で荒れ狂い、洗い尽くす様は、原爆以上に悲惨である。利潤追求だけを
目的に、巨大腕力ゆえに莫大な富を独占、庶民もおこぼれにあずらかろうと競って参加す
る。役員は法外もない報酬をえて得意満面となる。だが、この「水上歩行理論」は、やが
て失速して破綻、国家に泣きつき、公的資金をあおぐ結果となる。

 2008年夏、急遽襲った石油の高騰。鉄鉱石・穀物・株式相場しかりで、実需そっち
のけのマネーゲーム……。庶民にとって青天の霹靂、漁業・運送業者など明日を失ってさ
まよった。強者は逸早く情報をえて売り抜け、ワリを食うのは弱者である。

 ことさら、昔の生活を良くいうつもりはない。苦しかったからこそ、経済・利便性を追
求、現在の生活を勝ち得たのである。だが、失ったものの多さにも気づかされる。「真面
目に働けば、お天道様と白いマンマはついて回る」は、死語となり、世間は偽装ばかり…
…。年金台帳の杜撰さ、乳幼児に与える粉ミルクにメラミンを混入するにいたっては、言
語道断である。道徳心を失った社会、儲けのためなら何でも有りの世界……。私論だが、
地方をダメにしたは、ゼロ金利と週休二日制だと思う。前者は利息による家屋・財産の保
全を不可能にし、後者は一次産業・職人などの労働意識を極端に悪化させた。

 私は海辺育ち、9年の都会生活を経て山間集落に婿入りした。ムラ人足に出て驚いたの
は、普通のひとさえ橋や道を作るノウハウを持ち合わせていたことである。また、その頃
は茅葺き屋根が多く、「トタン屋根無尽講」を設立し、年1、2軒、くじ引きで葺きかえ
ていた。棟梁的本職は頼むが、ほとんど作業は講仲間と親戚でまかなえた。現金収入の少
ない時代の知恵だったのである。

 なお、私の家は、昭和30年代半ばに建設された。わが家所有の山林から立木を伐採、
それを肩やソリを使って里出し、製材……。荒壁のための土練り、木舞かき、建前、屋根
葺きの手伝い……。親戚は1軒あたり半月くらい労力(無料)奉仕をしてくれた。なお、
その時代が分岐点で、地方の生活も近代化に直進した。

 ムラ社会は、まさに職人集団だったのである。大工・左官職はムラごとに必ずいたし、
隣ムラぐらいにはカゴ屋、畳屋、建具屋、鋸屋、桶屋、下駄屋などが点在した。鍛冶屋は
作業目的、身の丈に応じた道具を工夫・調整してくれた。私の父など、玩具は買ってくれ
なかったが、マイ鍬・マイ背負子をあてがい、子供をこき使った。だが、それを手に働く
私は、家族の一員となった喜びを感じたものである。小学6年ともなれば人足として一人
前の扱いを受けた。また、道路沿いには職人の仕事場があって戸が開き放っていたので、
子供たちは飽かずに眺め、暗黙知の世界を拡げた。

 なお、特記すべきは、相互扶助社会だったことである。多少の自由は奪われたが、セー
フティーネットが完備されていた。家族に病人が出れば、親族・近所のひとが駆けつけ、
親身となって農作業を手伝い、夜を徹して看病、医療費など見舞金で補ってくれた。嫁婿
の世話、一家繁栄への忠告、冠婚葬祭まで仕切ってくれた。それに、結い制度があり、他
家と労力の持ち回り作業で忙しさを補いあった。貧しくとも家族は、心を一つにして暮ら
し、饅頭など余分に作ると、隣近所にお裾分けした。また、月一日ぐらいの割合で祭日が
儲けられ、労働を休み、栄養のあるものを食べてコミュニケーションを図った。

 ここで話しを現実に戻そう。現代社会は一見、福祉・年金制度が整い、安楽に末期を迎
えられるように思える。しかし、国家の借金が社会秩序を狂わすほど膨大となり、未来に
光明を見いだせなくなった。われわれは現状のまま、健康のまま老いられると思いがちだ
が、老いは病と二人連れで訪れがちで、認知症になるとも限らない。

 例えば、救急車で運ばれるとする。保険証、現金の在処、保証人がいなければ十分な医
療が受はけられない仕組みとなっている。次いで手術ともなれば尚更で、地方の老人は既
に心やすく暮らせない時代になっている。

 親は、子供が幸せになるなら都会で暮らすよう、その背中を押す。自分を犠牲にしてま
で子の幸せを願うのが本性だから、自分を看取ってくれなどとは言えない。だが、現在の
都会も暮らせる保証はないが、土地には働く場がないと、都会へ若者は流出する。実をい
えば、私がUターンしたのも、兄弟全員を故郷に集めたのも、親孝行の真似事と共に心や
すく一生をすごす戦略であった。

 ここで「生活の創造」という概念で地域を考えてみたい。まず観光を基盤とし、そのニ
ーズに応えていくことからはじめたい。そして、土地から産出するものを大切にし、商業
が中心媒体となって消費者と生産者間の情報交換を密にする。新しい献立、新商品の開発
・研究する。職人集団を作り、各地に派遣するなら、生活の場ができるように思う。もし、
このまま職人のなり手がなく払底するなら、東海地震に襲われたら家屋の復旧はどうなる
だろうか。自宅があって家賃を払わないこともそれだけ収入を得たことになるし、自家財
産の保全も重要事項のように思う。ただ若者の意識、暗黙知、使命感にすがる以外にない
が……。

 いずれの社会においても、三世代が一つの屋根の下で暮らすのが理想である。お年寄り
が体験的知恵を孫子に伝えることは本能で、学ぶものが多いはずである。

 このほど「松崎夢の蔵」の建設がはじまった。土蔵建築は70年以前に施工されて以来、
空白域の世界である。現在の左官職でさえ、木舞かきからなまこ壁までの全行程を体験し
た者はないという。職人社会は、暗黙知の世界、一つの読み解きから十の結果を導き出す
名人である。初めてお目にかかったのだが、木舞竹を受ける棚が柱に細工されていて、先
人の知恵の深さに感動を覚えた。また、合掌細工・ほぞ木組みなど、長年積み上げての建
設技術で、大工はいとも簡単にやってのける。また、水盛り(水平)や垂直、直角を即座
に計り出すノウハウに驚きを思えた。

 土蔵は、土壁のために湿度が一定、夏涼しく冬暖かいので物の貯蔵に適し、防火が最大
の目的である。特に漆喰は100年間二酸化炭素を吸収し続けて固まるという、エコ材な
のである。それに松崎町の街並みの美観は、なまこ壁なくして存在しない。

 この「松崎夢の蔵」の建設により、その歴史的価値、伝統技術の掘り起こし、その継承
が図られる。それにより全国、いや世界に「左官の町・松崎町」をPRするチャンスとな
る。また、静岡県が当番県となる「第24回国民文化祭しずおか2009」にノミネート
し、建築段階を逐一発信する予定である。

 この小さな建物ではあるが、知恵と夢がいっぱい詰まったまさに「夢の蔵」なのである。
自らが実体験することによって暗黙知の扉は開かれる。わが身、わが町、仲間たち、職人
の偉大さを知る糸口となり、未来が大きく広がるであろう。


(暗黙知=ハンガリー生まれの哲学者マイケル・ポランニー(1891〜1976)が提
唱した概念。文字や数式では表せない知恵やノウハウなどを指す。読売新聞より)



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