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  「松崎蔵つくり隊」

                          御前崎市 小学五年生 松 本 育 也

 ぼくは今、小学校五年生です。一番初めに松崎の蔵つくり隊に行ったのは、三年の時で、
なまこ壁の修理に家族で行きました。

 きっかけはお父さんが、なまこ壁の修理に行っていて、
「たまには家族で行ってみるか」との一言です。 

 なまこ壁の修理は一、二回ぐらいしかなかったけど、なまこ壁の修理がおわって、歓迎
会に招待されました。なまこ壁の前で歓迎会をしましたが、料理は豪華でした。

 それから約半年後に、蔵つくり隊の人から、
「蔵をつくるので手伝いに来てください」と、手紙がきました。

 そして、ぼくとお父さんで行きました。初めは「地鎮祭」をやり、その後に蔵つくりを
始めました。その時は、まだぼくの仕事はなくて、大人の仕事ばかりでした。

 次に行った時は、竹にねった土をつける手伝いだけれど、雨で中止となりました。それ
で次に行ったら、その作業は、終わっていました。だけどその作業でぬった土の上に、ま
た土をぬっていきます。そして、その作業はその日で終わりました。
 
 一ヶ月後にまた手伝いに行きました。その時の作業は、なまこ壁の瓦をはることでした。
前の作業で土をぬった壁に、瓦をつけます。そのつけかたが特徴的で、瓦を木のくぎでは
りつけるのです。それにはすごく驚きました。その作業はまだ一日では終わらなかったけ
ど、瓦のはめ方に驚きました。

 その次に行ったのは、二か月後です。サッカーをやっていて用事があったから二か月後
になってしまいました。その日の作業は、瓦の間にしっくいを入れていき、それが終わっ
たら砂じっくいでなまこ壁をつくりました。その作業はとてもむずかしく、その日では終
わらなかったです。

 そして、夏休みにある民宿にとまって、蔵つくり隊のつくっている蔵に行きました。そ
の日の作業は、前にぬったところにしっくいでぬり重ねます。

 この形をつくるのはむずかしく、仕上げはいつもお父さんがやりました。でも、自分で
仕上げたいけど、いつも失敗して、きれいななまこ壁になりません。それで、くやしいけ
ど午後二時で家に帰りました。

 これからはなまこ壁が有名になるように、一流の左官になって、いろいろな人に、
「左官はすごいなー」とか、「なまこ壁ってなにー、その壁すごい」とか言わせて、左官
を広げていきたいです。

      ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 親子で松崎とは駿河湾をはさんで対岸の御前崎から駆けつけてくれる親子がいる。私は
いつも感心して親子の作業を眺めていた。親の職業に興味をもって後継者となる。こうな
れば地方の過疎化、諸問題の大半は解決されるはずである。

 このほどその子供「小学五年・松本育也君」から原稿が寄せられた。このように一人で
も反応してくれれば「国文祭」開催の意義がある。惜しいのは生徒を引率して見学にくる
地元学校がなかったことである。


 私は「職人」に関心をもち、その価値観を見出すことをライフワークとしてきた。今回
の「国民文化祭」において、松崎町が「鏝と漆喰のアートフェステバル」と題して職人文
化を取り上げたことは誇るべきことである。
 文化とは、本来「生きること」を目標に、それぞれの土地に違った花を咲かせてしかる
べきものである。それを誇らずして人間としての存在はない。地方とか都会とか、職業で
「貴賤」と区別すれば、それは堕落した人間の考え方である。 (広報部・松本晴雄記) 



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