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「鍛 冶 屋 さん」
松崎蔵つくり隊広報部 松 本 晴 雄
「鍛冶屋」と聞いて一般的には、鍬・鎌・鉈をつくる仕事、無縁と思いがちである。し
かし、「松崎夢の蔵」作業を通じて、文化を下支え、発展させる重要な仕事であることを
思い知らされたのである。
この「蔵つくり隊」に参加されている鈴木さんは、南伊豆町下賀茂にある、数少なくな
った鍛冶屋である。今回は「変形折れ釘」を作っていただいたり、試行錯誤の土扉の「蝶
番」などをお願いしている。こちらから「こうしたものを」と注文すると、直ちに作製し
てくださる。また、使い勝手が悪く「ここが不都合だ」と言えば、鈴木さんは聞く耳を持
ってくださり、修正したものを提供してくださるのだ。
余談であるが、私など小学校1年生から「マイ鍬」「マイ背負い子」をあてがわれた。
だから農作業に参加して家族の一員としての誇りが持てた。あんな可愛い鍬を作ってくれ
たのは、このような鍛冶屋が身近にあったからに他ならない。
学校の登・下校時に鍛冶屋のフイゴの吹く空気が炭を赤く染め呼吸したのを眺めたもの
だ。金槌で叩いていろんな形に変えていく、まさに魔法使いであった。大工・左官・建具
屋・木樵など職人はほとんど厄介になった。使うひとの要望を聞き、その人にあうもの、
現場にあう道具つくりをしてくれた。それぞれ鍛冶屋に得意のものがあり、「河津の鉈」
「熊坂の鍬」などと言われ、私はわざわざ修善寺まで鍬を買いに行った経験がある。
思い出すのは、荷馬車馬の蹄鉄が赤く焼かれ、それを爪に押しつけると白い煙が上がっ
たものだ。一瞬、馬はおののくが案外平気であった。鈴木さんに会っての話しだが、いま
下田・了仙寺の山門を修理中でそこに使ってあった特殊な金具作りをし、歴史的な文化遺
産を修復する時、注文が舞い込むという。
大量生産、同一的生活時代、鍛冶屋は消えていく運命にある。もしそれにまかせていた
ら、独自の知恵を内蔵した文化・道具も消えていく。高価であっても愛着が生じ、長年使
えるものが鍛冶屋さんによって地方文化を支えてくれていたことをしみじみ感じる昨今で
ある。もし完全になくなったらどうなる。地方は都会の従属物、お荷物になるしかないだ
ろう。
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