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  「小 舞 か き」

                             松崎蔵つくり隊広報部 松 本 晴 雄

 今年の夏は、ことのほか暑く、その中を農作業にガイド、デジカメ散策と動き回った。
家人には「俺はこれだけ働いても、疲れを感じない、日本一健康な老人だ」と、吹聴した。
 そんな矢先の9月13日、帯広市からの親善団を炎天下の案内となった。依田勉三の研
究家を自負する私は、一段と声を張り上げて説明した。それが終わって事務所である観光
協会へ寄ると、職員が「晴雄さん、顔色が悪いよ。すぐお医者さんへ行ったら」と、言っ
た。「なあ〜に、日熱を受けただけだから大丈夫だよ。すぐ治るから」と、医者には寄ら
ずに帰宅した。だが、微熱が出て食欲もなくごろごろしていた。

 翌日は日曜日で、はとバスの予約のあることから、無理をおしてガイドした。この日は
少し舌がもつれ、だるかった。職員には「明日は敬老の日に招待(わが集落は70歳以上
が公民館に集まる)されたから来られないよ」と、報告して帰宅した。

 次の15日は、微熱と食欲のなさに敬老会に出席するどころではなかった。それでも(病
院は休み)「医者に行くほどでもない」と、たかをくくっていた。次の日も雨が降ったた
め、医者にいく気になれなかった。

 だが、鏡を見ると、目の縁に黄疸症状が出ていて、これは放置できないぞと、ようやく
18日、医者へバスで行った。医者はすぐ血液採取し、「明日結果が分かる」との言葉だ
けで、食欲の出る薬を処方した。

 19日、友人が見舞いに来てくれたついでに、その車に乗せてもらって病院へ行った。
医者は血液検査の数値を診て、「入院出来る医者を紹介するから、そちらで診てもらうよ
うに」と言い、即入院となった。

 以後1週間、点滴生活が始まり、途中24日、長岡の病院で検査してもらうようにと、
息子の車で行った。さすがに大学病院で、採取された血液検査の結果が出て、医者は「改
善されている」とだけ言い、触診することもなかった。

 食物を口にしたのは退院の前の晩と、朝の2食のみであった。やはり口から入れた栄養
でなければ、全身から力をみなぎり出すことは出来ない。

 そんな折り、「蔵作り隊」事務局の細田氏が訪れてくれた。自分で「小舞かきの木材の
ひな形を作った」と、我が家を訪れ、夕方まで眺めるよう置いていった。小舞竹を置く棚
のある、今まで見たことのない細工がほどごしてあった。

 そして10月11・12日に「小舞かき」作業が行われた。竹を寸法通りに切る人、それを
柱に打ち付ける人、格子状に組み合わせていく人、流れ作業よろしく素人とは思えない
早さで進んでいく。

 次に「大和結び」という結び方で、小舞竹が動かないように紐で結びつけるのであ
る。細田氏が造ったひな形により隊員は納得、手早く楽しみながら作業をした。

◎紐=棕櫚というヤシ科の木からとったもの、土蔵の建つ家の庭によく見かける。

◎「小舞かき」=和風の土壁の下地として方眼に組まれた細い竹、または木を編むこと。

                                        

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