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   壊される土蔵

                         松崎蔵つくり隊事務局 細 田 栄 作

 今日ひとつ「土蔵」壊され、跡形もなく消え去るのを目撃して悲しくなりました。機械
が怪物のような爪をむき、掻きむしるように無惨に壊されていくのです。我が身に爪を立
てられるような痛さが全身に走りました。「夢蔵」を建築中であれば、まさに「建築1年、
壊し1日」の実感です。

 実は私が「蔵つくり隊」を立ち上げようと思い立ったのは10年近く前の出来事でした。
友人宅の土蔵が目の前で壊されるのを見て、唖然としたのです。

 「どうして壊すのですか?」と聴くと、「子どもが帰郷する時の駐車場にするんだ」と、
主人は平然と答えます。街中の一等地、町の佇まいの唯一のポイント的存在なのです。そ
の頃は汽船があり、観光客が波止場に向かう通りの最後のナマコの蔵でした。

 その年の忘年会、同席した助役に聴きました。「どうしてこの町には景観保護条例を作
らないのか?」、その答えは「お金かかる」という素っ気ないものでした。「うーむ」私
は腹の中で呻りました。その時から、むらむらと作戦を練り始めたのです。

 ここでなまこ壁の土蔵の扉について触れます。現在、町には200軒ものナマコ壁の建
物があります。ほとんど蔵ですが、観音扉のあるものは3軒だけです。なぜでしょう。こ
れまでの経験で想像ができます。莫大な経費がかかり、材料の調達が困難だからです。防
火が目的なら、引き戸でも問題はないからです。この観音扉を付けるだけで、もう1軒蔵
が建つ計算です。米の収納が主目的ですから、少ないのも当然と言えるのです。

 で、話を今日壊された蔵に戻します。持ち主に聞いたわけではないので、壊す理由は定
かでありません。寂しさだけが痛いほど私を襲いました。

 それにこの蔵、「蔵つくり隊」の材料として一部頂きたいのですが、業者が解体作業中
で後の祭りです。この蔵は割りと手入れがされています。雨漏りなどはなさそうです。最
近修理した場所も幾つかうかがえるほどです。でも、近くには放置され手入れもされず、
屋根に大きな穴が開いているものもあります。

 要するに、耐久年数がとうに過ぎている感が否めません。松崎町には江戸時代末期、明
治、大正までが建設された時期です。残る200軒も限界がきているといっても過言では
ないのです。

 蔵に「折れ釘」があるのは、持論ですがマメに修理することが必要な建物という意味で
も?あります。ひびや割れがきたら直ぐに修理、目的の場所に直ぐ足場を掛けるるための
ものだからなのです。見渡せば何十年も修理していない蔵だらけです。もう終焉かなとも
思われます。

 時代的にも、断熱材、クーラーや冷蔵庫が出来たりして「土蔵」は必要ないのです。お
荷物なのです。修理するにも多大な経費がかかります。・・・・。

 のち十数年で全てが無くなる可能性もあります。運命とだけ受け止めて良いのでしょう
か。するとどうなるのでしょう。この町の風情、景観、そこに住むひとの人情までもが…
…。

 外国の景観保持精神が羨ましく感じてなりません。対景観は観光客をよぶ最大要素とな
ります。真剣に外貨を必要と地域一体となって考えているからなのです。安っぽいベット
タウン化した町にはひとは訪れてくれません。

 ある観光パンフレットに「レトロな街並みの小さな港町、なまこ壁通り散策」の見出し
に「情緒ある通りをそぞろ歩き『なまこ壁通り』なまこ壁は平瓦の継ぎ目を漆喰でかまぼ
こ状に盛り上げてつなぎ合わせたもの。薬問屋・近藤邸の壁は見事で、石畳の道ともマッ
チ。江戸情緒に浸りながら散策が楽しめる」とある。

 これは松崎町にとって「なまこ壁」が立派な商品である証言なのです。「土蔵がいかに
大切か」という風潮を官民そろって築こうというのが、「松崎夢の蔵」建築理念と言えま
す。
                                        

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