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  「森林の思考・砂漠の思考」

                                    松崎蔵つくり隊広報部 松 本 晴 雄

 以前、「松崎夢の蔵」(職人共和国=暗黙知) =持続型社会を目指して=を書いた。だ
が、1件の書き込みもなく落胆、持続して書く意欲を失った。

 ある日、「蔵づくり隊」のメンバーから「さかん」という雑誌を預かった。この本の前
身は「左官教室」で、昨年9月に廃刊、その後各所から要望が強く、今年5月に「さかん」
という名で復刊されたものである。それほど現在は、塗り壁ブーム、左官職が見直されつ
つあるということだ。なら「松崎夢の蔵」に注目が集まるという解釈も出来る。

 本の中に「二つの自然」と題するコラムがあった。それを読み、わが「持続型社会……」
の裏付けがとれ、勇気が与えられた。私のような素人にとって、コメントをいただくとか、
裏付け理論に出会えることは有り難いことで、目から鱗が落ちた思いとなった。

 このコラム文も他からの引用で、ドイツの建築家クラウス・ケーニッヒ氏は「エコハウ
スセミナー」の中で、『自然には二つの自然があって、環境としての自然。もう一つは人
間の自然。人間の自然とは健康とか、健やかな自由な心といったものだ。この二つの自然
の間の調和がエコロジーの本質で、どちらか一方が欠けても真の人間はありえない』と語
った、という。

 続いて著者は、人間を取り巻く「環境の自然」について、人間の側から自分たちの周り
の世界をどう見つめ、どう捉えるかとし、その長い歴史の中でたくさんの世界観が創られ、
その世界観は自然の見方、考え方の基礎となっている。現代はこの環境から生み出された
世界観が問題になり、さまざまな解釈の違いとなっている、という。

 何故そうなのかは、鈴木秀夫著『森林の思考・砂漠の思考』の中から、二つの世界観に
分類できるとし、世界が永遠に続くという循環的世界観と、もう一つは世界には始めと終
わりがあるという直線的世界観がある。すべての人がそれぞれの世界観に支配されながら、
日常の行動が無意識の中で規定されている、という。

 その二つの違った世界観は「森林」と「砂漠」という環境から導かれたもので、長い間、
砂漠的思考によって地球上は支配されてきた。この混迷する二十一世紀の今日、森林的思
考の世界観が待たれる、と述べる。

 森林という環境の中では、人は地上の一点に定着して、樹木の上のわずかな広がりの中
から天を仰ぎ見る。(中略)三十メートル先も見通せない暗い森の中にあっては、人間の
力を超える自然の霊性を畏れ、自分の存在の小ささを知り、山川草木の中に神々の姿を見
い出し、凡神的多神教の世界観がつくられる。そして人間は自然より弱く、自然と共にあ
る存在という考え方「下から上へ」と向かう視線、という。「持続可能」となる。

 一方、砂漠という環境の人々は、一点に止まることなく、何キロ先までも遠くを見通せ
る、広い生活空間を移動する中で、自分自身が常に天地の中心的存在となり、その環境か
ら天地万物が神によって創られたという「天地創造」という、抽象的一神教の世界観が生
まれた。その後ユダヤ教的、キリスト教的世界観に育てられ、自然は人間の手によって管
理されるという考え方「上から下へ」の鳥瞰視線、という。

 思い返せば、日本人は明治維新を境に「欧米一辺倒」となり、古来の「森林の思考」を
失ってしまった。グローバル経済は、それなりの利便性ある安楽な生活は出来た。だが、
競争社会、いつも不安はつきまとう。今や米国発の経済恐慌が、人類を脅かしつつある。
関係ない人間まで巻添えを食う、これほど不条理、不経済はあるまい。

 やはりこの辺で「持続可能な社会」の時期到来とみるべきでないか。それには「森林の
思考」を基礎とし、生活レベルは低くても心合わせる「相互扶助社会」である。一時の景
気浮揚を求めるのでなく、百年先が見通せる社会であって欲しい。「夢蔵」に職人共和国
の魅力を感じるのは、「森林の思考」がふんだんに内蔵されているからだろう。

◎長々と雑誌「さかん」から引用させていただいたことを詫び、感謝したい。



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