序 章 第1章
0〜19歳
第2章
19〜22歳
第3章
22〜26歳
第4章
26〜33歳
第5章
33〜43歳
第6章
43〜61歳
第7章
61〜65歳
第8章
65〜69歳
第9章
69〜75歳
終 章 あとがき

改 訂 版
 
 
                         須 田 昌 平著
 

  あ と が き

 私の歌集『夕山桜』に、こんな歌が載っている。
  孫ら去にて日常にもどる八月の終り 書き急ぐ入江長八伝
昭和四十五年の作で、その年の暮れ、ようやくこの『お工伝』を書き終えた。原稿を書き
出してから二年余を経ている。しかし、
  世にいずることもなからむ原稿を机に積みて 吐息おのずす
と述懐しているように、出版のてだてはなかった。誰に頼まれたのでもなく、ただ書かず
に居られないで書いたのだが、書いたことは満足だったが、花が実とならないさびしさが
ないわけではなかった。
 それから四年が過ぎた。その間に、原稿を二度書き直した。たとえ世に出なくても、私
の生涯の記念として残して置けば、将来誰かが見てくれるだろう。そのためにも、私は余
すことなく、私の持っているものを出し切って置きたかったのである。
 たまたま去年(昭和四十九年)秋、郷里に帰った私に、積極的な、出版の話が持ち出さ
れた。話は具体的に進み、急速に実現に向かって動き出し、とうとう出版ときまった。思
うに、郷里の人々の並々ならぬこの熱意は、一つには、郷土の誇りとする入江長八への思
慕のあらわれであり、二つには、郷里に生まれ育ち、十年の教育をした私への親愛のたま
ものであろう。長八への思慕も、私への親愛も、あわせて私にはうれしい極みであった。
 この上は、私のこのつたない著述が、この人々の恩寵にこたえるよう、たくさんの人々
に読んでもらいたいと望む。

         

 この書は、私として一所懸命書いたものには違いないが、もちろん完全だとは思っては
いない。まだ調査不十分なことがあり、推及の足りない点もある。結城素明氏や白鳥金次
郎氏の労作を批判しながら、それは、私の記述の貴重な土台であり資料となっていて、見
ようによっては、それ以上に出ていないかも知れない。
 ただ私は入江長八を一人の人間として眺め描き続けたことだけは、読む人にわかってい
ただけると思う。あるいは通俗的な、または掘り下げの足りない面はあろうが、それは私
の非力のせいでいたし方ない。
 この書は、学術書でも美術書でもない。そういうことは、専門の人に任せる方がいい。
私の任ではないと思って、なるべく立ち入らないようにした。この点で、この書を読んで
歯がゆく思う方があるかも知れないが、是非お許しを頂きたい。
 また、純粋の伝記というのでもなく、随所に『私』が挿入されたり、独善と思われるよ
うな推理もあり、まぎらわしい点があろう。が、私はただこうすることによって、私の責
任を明らかにしたかったのである。

          

 末尾になって恐縮だが、私のこの研究に助力して下さった方々、郷里の依田薫氏、東京
の池田雅雄氏など多数の人々に深く御礼を申し上げると共に、出版に際して特に尽力下さ
った文寿堂印刷所社長及び社員の方々の努力に感謝して止まない。
 また、教育者冥利と言おうか、教え子たちが、それぞれの分野において助力いただいた
ことをうれしく思う。

          

 この書の出版によって、世の多くの人々が、入江長八を理解し、ひいては日本文化の現
在及び未来を意義あらしめるよう期待し、そのための『地の塩』であり、『踏台』であり
得たなら、私の喜びはこれに過ぎるものはない。

 昭和五十年二月
                                   須 田 昌 平追記

 【参 考 文 献】

@伊豆人物志
A南豆風土誌
B建築工芸叢誌
  (第 九) 入江長八
  (第二十) 泥工伊豆の長八
C伊豆長八      結城素明
D名工伊豆長八   白鳥金次郎
(注)白鳥金次郎氏には、外に次のような研究文献がある。
   竜沢寺と長八作品、入江長八翁の遺跡探究、入江長八翁彫刻余談、入江長八の作品
   と師弟関係、静岡に滞在の入江長八、名工長八と太十の作品、山岡鉄舟と長八の交
   遊、三島竜沢寺と名工長八、入江長八翁作品調査について、静岡に現存する長八作
   品
E実業学校国語教科書(保科孝一編)
   『伊豆の長八』
F江戸から東京へ  矢田挿雲
G入江長八君之伝  山田万作
Hプラスター(雑誌))
『入江長八の研究』(連載)森規矩夫
I品川に遺る入江長八 野口由紀夫
J黒船(雑誌)
    『入江長八』(連載)
Kその他
  七言律詩    三島中洲
  長  歌 本居豊穎

※「伊豆の一仙」  松本晴雄

  著 者 略 歴
明治38. 1 静岡県賀茂郡松崎町松崎に生まれる。
大正13. 3 静岡師範学校卒業。
     以後小学校教員(稲生沢、松崎、仁科)
     この間、師範学校専攻科卆、中等教員国語漢文試験合格。
昭和9. 9 静岡女子師範学校訓導、次いで静岡師範学校訓導兼教諭。
昭和16.4 静浦(沼津市)教諭、次いで長泉(駿東郡)教頭。昭和19.9 駿東郡北郷(小山
     町)国民学校校長。
昭和22.4 賀茂郡松崎中学校長、次いで三島市南中学校長。
昭和32.4 静岡県教委、東部教育事務所指導課長。
昭和34.4 三島市西小学校長〜38.3退職。
昭和38.4 市立三島高等学校講師〜48.3退職。
昭和61.7.13死去、享年81歳。 

 著書 歌集「起伏」「つゆさむ」「夕山桜」。随筆「わが幾年月」。
その他 童謡、民謡、校歌等十数篇。
 
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