須 田 昌 平著
あ と が き
私の歌集『夕山桜』に、こんな歌が載っている。
孫ら去にて日常にもどる八月の終り 書き急ぐ入江長八伝
昭和四十五年の作で、その年の暮れ、ようやくこの『お工伝』を書き終えた。原稿を書き
出してから二年余を経ている。しかし、
世にいずることもなからむ原稿を机に積みて 吐息おのずす
と述懐しているように、出版のてだてはなかった。誰に頼まれたのでもなく、ただ書かず
に居られないで書いたのだが、書いたことは満足だったが、花が実とならないさびしさが
ないわけではなかった。
それから四年が過ぎた。その間に、原稿を二度書き直した。たとえ世に出なくても、私
の生涯の記念として残して置けば、将来誰かが見てくれるだろう。そのためにも、私は余
すことなく、私の持っているものを出し切って置きたかったのである。
たまたま去年(昭和四十九年)秋、郷里に帰った私に、積極的な、出版の話が持ち出さ
れた。話は具体的に進み、急速に実現に向かって動き出し、とうとう出版ときまった。思
うに、郷里の人々の並々ならぬこの熱意は、一つには、郷土の誇りとする入江長八への思
慕のあらわれであり、二つには、郷里に生まれ育ち、十年の教育をした私への親愛のたま
ものであろう。長八への思慕も、私への親愛も、あわせて私にはうれしい極みであった。
この上は、私のこのつたない著述が、この人々の恩寵にこたえるよう、たくさんの人々
に読んでもらいたいと望む。
※
この書は、私として一所懸命書いたものには違いないが、もちろん完全だとは思っては
いない。まだ調査不十分なことがあり、推及の足りない点もある。結城素明氏や白鳥金次
郎氏の労作を批判しながら、それは、私の記述の貴重な土台であり資料となっていて、見
ようによっては、それ以上に出ていないかも知れない。
ただ私は入江長八を一人の人間として眺め描き続けたことだけは、読む人にわかってい
ただけると思う。あるいは通俗的な、または掘り下げの足りない面はあろうが、それは私
の非力のせいでいたし方ない。
この書は、学術書でも美術書でもない。そういうことは、専門の人に任せる方がいい。
私の任ではないと思って、なるべく立ち入らないようにした。この点で、この書を読んで
歯がゆく思う方があるかも知れないが、是非お許しを頂きたい。
また、純粋の伝記というのでもなく、随所に『私』が挿入されたり、独善と思われるよ
うな推理もあり、まぎらわしい点があろう。が、私はただこうすることによって、私の責
任を明らかにしたかったのである。
※
末尾になって恐縮だが、私のこの研究に助力して下さった方々、郷里の依田薫氏、東京
の池田雅雄氏など多数の人々に深く御礼を申し上げると共に、出版に際して特に尽力下さ
った文寿堂印刷所社長及び社員の方々の努力に感謝して止まない。
また、教育者冥利と言おうか、教え子たちが、それぞれの分野において助力いただいた
ことをうれしく思う。
※
この書の出版によって、世の多くの人々が、入江長八を理解し、ひいては日本文化の現
在及び未来を意義あらしめるよう期待し、そのための『地の塩』であり、『踏台』であり
得たなら、私の喜びはこれに過ぎるものはない。
昭和五十年二月
須 田 昌 平追記
【参 考 文 献】
@伊豆人物志
A南豆風土誌
B建築工芸叢誌
(第 九) 入江長八
(第二十) 泥工伊豆の長八
C伊豆長八 結城素明
D名工伊豆長八 白鳥金次郎
(注)白鳥金次郎氏には、外に次のような研究文献がある。
竜沢寺と長八作品、入江長八翁の遺跡探究、入江長八翁彫刻余談、入江長八の作品
と師弟関係、静岡に滞在の入江長八、名工長八と太十の作品、山岡鉄舟と長八の交
遊、三島竜沢寺と名工長八、入江長八翁作品調査について、静岡に現存する長八作
品
E実業学校国語教科書(保科孝一編)
『伊豆の長八』
F江戸から東京へ 矢田挿雲
G入江長八君之伝 山田万作
Hプラスター(雑誌))
『入江長八の研究』(連載)森規矩夫
I品川に遺る入江長八 野口由紀夫
J黒船(雑誌)
『入江長八』(連載)
Kその他
七言律詩 三島中洲
長 歌 本居豊穎
※「伊豆の一仙」 松本晴雄
著 者 略 歴
明治38. 1 静岡県賀茂郡松崎町松崎に生まれる。
大正13. 3 静岡師範学校卒業。
以後小学校教員(稲生沢、松崎、仁科)
この間、師範学校専攻科卆、中等教員国語漢文試験合格。
昭和9. 9 静岡女子師範学校訓導、次いで静岡師範学校訓導兼教諭。
昭和16.4 静浦(沼津市)教諭、次いで長泉(駿東郡)教頭。昭和19.9 駿東郡北郷(小山
町)国民学校校長。
昭和22.4 賀茂郡松崎中学校長、次いで三島市南中学校長。
昭和32.4 静岡県教委、東部教育事務所指導課長。
昭和34.4 三島市西小学校長〜38.3退職。
昭和38.4 市立三島高等学校講師〜48.3退職。
昭和61.7.13死去、享年81歳。
著書 歌集「起伏」「つゆさむ」「夕山桜」。随筆「わが幾年月」。
その他 童謡、民謡、校歌等十数篇。
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