D付録:渡辺勝日記抄

      帯広市教育委員会発行「渡辺勝・カネ日記」小林正雄編
 

◎勉三、ワッデルとの出会い
明治9年1月 生退寮の後、寮より生入寮中入費60円を日々催促す。されども生1銭を
有せず、大いに困す。加之るに三上先生 生退寮して月給なきを知りて塾より生の出でん
事を催促す。やむを得ず友人遠山君を頼み氏の手続きを以て、西久保葺手町に住する英人
ワッデル氏(WADDELLキリスト伝道師)方へ行く。生の服の垢付きたるを見て、金
6円を貸す。よって綿入れ羽織、帯等を買う。この時皆云う、生 勝にあらざるして他人
のごとく見ゆると。先生の塾に於いて古瀬清寧、依田勉三…等と会う。
 生 此所にて英学変則を教授して3、4円を得ることを得たり。
◎勉三と伊豆行き
明治9年9月 依田勉三君と箱根の温泉に行く。堂ヶ島(箱根)に4、5日泊まり、それ
より伊豆依田君の宅に行く。蓮台寺、下田へ行く。また依田君方に来たり3、4日泊まり
松崎に行く。依田君と別れ、猫越を越え2たび堂ヶ島(箱根)へ行く。一泊して明日東京
に帰る。この時の入費は依田君出せり。
◎洗 礼
明治10年(西暦1877.1.7)ワッデル先生より洗礼を受け、主キリストの民とな
る。これより2、3ヶ月間ミセスワッデルに日本語を教え毎月2円を受く。第4月より英
学教授をやめ、ただ先生より聖書を学ぶ。またスコティッシュ教会より日用入費として毎
月6円を受く。
◎伊豆にて教員、初めて演説
明治11年6月? 依田勉三君の手続きで伊豆国洋学教員となる。8月26日東京を発し、
28日大沢依田方に着す。しかれども開校の日定まざる故、同家に食客す。少しずつ読書
す。されども生一人なる故退屈す。11月18日勉三君帰らる。その後は勉三、久良之助
(善吾)、土屋準次君等と耕作、時としては山行等せり。また11月23日松崎共和会へ
行く、会員となる。しこうして伊豆にて初めて演説す。12月初旬那賀土屋方へ行き耕作。
7日共和会、8日大沢へ帰る。12日蓮台寺へ行き大野恒哉君に会い学校開業の事を問う。
君 校は来春早々開校すと。
◎豆陽学校(教頭)初講義
明治12年1月15日 曇天 今日より豆陽学業を始む。前9時より依田君日本外史を講
ず。10時より生 英書を教授す。
◎ワッデル先生、伊豆へ来る
明治12年5月19日 大雨 前9時大沢勉三君より古瀬(清寧)、ワッデル及びリレー
氏来るを報告す。かつ生 大沢へ行くことを要せり。よって直ちに使いと共に大沢へ行く、
12時着。2時ごろワッデル氏等松崎「松会楼」より来る。種々談話の後、午飯。大沢学
舎及び湯を見る。晩飯後学舎にてワッデル氏と生と説教す。聞く人甚だ多し。
◎勉三君妻をもらう
明治12年6月7日 勉三君妻をもらいたる事を告ぐ。(4月5日リクと結婚)
◎ワッデル先生の落書き
明治13年1月9日(正月を東京で過ごす) 6時修善寺を出立 天城山を越ゆ、甚険
なり。頂上石地蔵の側 HWなる字の刻られたるを見る、これワッデル先生、先年伊豆よ
り帰らる時
刻られたるなり。頂上茶屋にて午食、それより休みなく進み、相玉四君子屋に
至り休む。4時吉村へ着、入湯。夜堀内君を招き共に食す。塾に帰る。)

◎岩科学校開校

明治13年9月25日 晴 諸君と共に舟に乗じて川を下り松崎に至り、直ちに岩科開校
式に赴く。11時大迫公(県知事)及び蜂屋学務課長、依田(佐二平)、岡田郡長等臨し
て式行わる。生も演説す。後2時式終わりて饗応の席に付く、美味備り尽せり。花火昼よ
り夜に至り数百本あり。誠に盛大なる開校式なりと大迫公はじめ喜ばれたり。夜 松会楼
に泊まる。鈴木真一君に会う。大迫及び蜂屋氏に初めて言を交ゆ。
◎豆陽学校、公立となる
明治14年3月26日 晴 授業後下田へ行く。大野氏に至り、給料を受けとらんとす。
隅々豆陽学舎公立となり、氏より渡し方出来ざる趣につき帰る。
◎勉三、北海道へ赴かんと
明治14年8月5日 晴 また朝より網直し、午後3時これ全く出来 帰校。勉三君より
紙入れをもらう。氏は10日前北海道へ赴かれたと。
◎勉三とワッデル、来着
明治14年11月23日 新嘗祭 ワッデル先生及び勉三君来着 吉村に至り会う。新旧
約書の注解を賜る。
◎北海道行きについて相談
明治14年12月25日 安息日 晴 前7時ごろより各退散。12時より生 大沢へ至
る。それより松崎依田(塗屋)に至り、勉三氏に会い、北海道行きのことを相談す。
同12月26日 勉三兄と共に大沢へ帰る。北海道のことを論ず。
同12月27日 北海道のことを論じ、10時松崎依田氏に至り、諸用を弁じ、乗船して
沼津に至らんと出船を問う。大西風にて出船なし。後1時同所を発し猫越を過ぎ瀬古ヶ滝
に泊す。
◎鈴木銃太郎と北海道を談ず
明治15年1月9日 …日暮れ横浜鈴木(真一)に至る、同家に泊す。7時ごろより伊三
郎君と共に尾上町なりし中兄(中啓三?)の宿を問う。鈴木銃太郎君偶々至り 北海道の
ことを談じ帰る。
◎勉三と北海のこと談話す
明治15年2月11日 大祭日休業 大沢村に赴く。勉三君東京より昨夜帰られたり。北
海のことについて種々談話す。
同2月12日 後3時まで北海のこと等について談話。6時ごろ帰校、北海道規則を写す。
◎北海道規則を議す
明治15年2月18日 前 授業。後 大沢村依田氏に至る。これ北海規則を議すため、
かつ生 校を去ることに付き相談のためなり。
同2月19日 依田兄弟等と松崎依田氏に至り会議す。同所泊。
同2月20日 会議、この夜大約会議終わる。同所泊。
同2月21日 規則を相談し、後 大沢村依田氏まで帰る。
◎下田吉村で勉三の離別会
明治15年4月29日 井浦君等と下田に至る。依田勉三君北海行きにて佐二平君と共に
吉村に来られ、同夜同所に至り離別会を為す。
同4月30日 (勉三)兄を送り梨本村に至り、帰る。
◎勉三より写真をもらう
明治15年5月26日 勉三君より鈴木銃太郎君と両立の写真を賜る。24、25日北海
行きの汽船に乗り込まれる由。
◎晩成社株主募集
明治15年7月10日 本日より夏期休業、これは近村コレラ病流行するに付き8月の休
業を繰り越ししたるなり、7月10日より8月20日まで40日間。生 あるいは伊豆南
東浦を回る、これ晩成社株数募集のためなり。
◎カネとの婚約
明治16年1月1日 横浜鈴木真一方に止宿。前9時元旦儀式終わる。10時汽車に乗じ、
東京西久保葺手町ワッデル師方に至る。
同1月4日 朝、鉄砲洲に至り用達し、ワッデル方にて午食。後4時汽車にてワッデル氏
と共に横浜に至り、二百十二番女学校(現共立女子大)校長クロスビー氏を訪う。これ余
と鈴木氏(カネ)との縁談に付いてなり。晩飯を供せらる。夜 鈴木親長君方に泊す。
◎株主募集(要点)
明治16年1月中旬より 松崎、岩科、仁科、田子、安良里、宇久須、江奈、宮内、伏倉、
蓮台寺、白浜、河津見高、稲取、片瀬、奈良本、白浜、吉佐美、田牛、湊、午石(?)、
石井、蝶ヶ野、一色、妻良、子浦、市ノ瀬、岩殿、上賀茂、韮山、大場、仁田、泉、熱海、
伊東、前原。
同2月8日 11時半同所(伊東)を発し、雪を衝いて前原に至る。積雪深きは2尺余に
至る。一面銀世界のため北海道十勝鈴木氏(銃太郎)のことを思い出せり。
◎離別の詩文大会(豆陽学校
明治16年2月10日 朝 堀内に至る、また酒を賜う、談話数時間。後2時より豆陽学
校に於いて生 送別のため教員、生徒、他の親友が離別の詩文の大会を開かれ、同所に至
る。郡長大野氏も臨まれたり。夜 酒肴の饗応あり。実に諸君の厚情謝する言なかりき、
9時半退場。堀内氏に泊す。この日送別の詩文多し。
同2月11日 朝より荷物を作り、吉村に泊す。また教員、生徒、生を訪れ、冷酒を呈し
涙を払って諸君と別る。
同2月12日 坂井、須藤両氏、朝食を共し、詩一首ずつ作り別る。
◎大沢にてパンを作る
明治16年2月13日ごろ糀米を蒸し乾燥に入る。南茄を粉末糀を作る。
パンを素を作る。パンを作る。
◎移民者募集
明治16年2月24日 (市ノ瀬村)山本三郎、藤江助蔵、(青野)進士五郎衛門。
同2月25日 (下小野)山田要助、高橋金蔵、山本彦太郎、山田喜平、
(岩殿)徳沢、(青野)大野喜太郎。
同2月26日 関口氏来る、影山氏入社(株主?)の事を決す。下田町に至り土屋萬吉に
会い石板のことを依頼。
同2月27日 朝より郡役所に至り、渡航願いの奥付を得る。また石板ぬりを為す。
◎大沢で活板印刷
明治16年3月3日より13日 活板の手伝い、パンを焼く。
◎条虫くだる
明治16年3月4日 条虫を下すが為松崎に赴く。近藤氏に診察を請い薬を服す。松崎依
田氏に宿を定む。朝来断食。
同3月5日 断食 服薬、虫下る。
◎離別の宴
明治16年3月14日 離別会酒宴盛んなり。
同3月15日 前晴 後陰夕雨 後5時大沢村を発す。勉君は一歩前に行く。余は渡辺要、
樋口父子、依田新四郎君と共に陸行。依田細君、樋口細君、道藤細君、依田久細君、松崎
依田母君舟行。余等峰輪村にて乗舟。天晩く雨至る。一絶を得る、早々辞郷閭/片舟晩下
川/柳条率別恨/陰雨擁愁辺 9時松崎依田氏に着、大沢依田君等すでに至れり。雨風頗
りなり、終に明日滞在に決す。
同3月16日 前雨 後晴る 朝衾中諸君と闘詩す。10時起きる。後余等の為に送別会
を開かる、来会者数十人、飲あり歌うあり書画を為すあり、宴盛んにして更老い五更に至
りて就床。
◎横浜へ向かう
明治16年3月17日 晴風 出立の用意を為す、出立に臨んで離杯を進められる。渭城
の曲を書し、同音高くこれを唱え松崎を辞す、時すでに12時過ぎなり。送りて外部に至
る人数数十人行く、相吟じ相話して外部、ツンダシ(築出)に至りまた酌酒、余等大酔う。
高く淦し深く酌んで別る。余 勉君と共に道傍の溝中に落つ。仁科にて休息、勉君は駕し、
余及び要及び大石君は歩し、宮ヶ原に至り泊す。依田老父君、同新四郎、樋口健一郎君等
すでに着。リク君はすでに猫越に登りたれども帰り同宿せられたり。
18日前9時宮ヶ原発、猫越を経て修善寺村新井(旅館)泊。19日前8時新井屋発、八
溝にて午食、5時箱根駅に至り泊す。山中望豆州有感一絶 烟暗天城嶺/水明狩野川/潜
然揮涙望/相対又何年。20日6時半箱根駅発、11時小田原港屋に着す。雨頻りにして
馬車また発せず。21日前6時半馬車にて小田原駅を発し藤沢駅にて午食、後3時半横浜
鈴木氏に着。洋食の饗応に与る。カネに出状。
◎カネとの結婚
明治16年4月9日 晴 社用頗る繁多。午より盛んなる送別の宴開かる。3床より髪を
装い入湯す。7時より横浜山二百十二番女学校に至る、これ本日7時半、生とカネと結婚
の大礼を行わんと取り決めたればなり、稲垣君式を司る。来会する者百余名、実に盛会な
り。式終わりて晩飯の饗応あり、清話豪遊、十時に至り散会。生はワッデル教師を送り、
ステーションに至り、鈴木氏に至り泊す、時11時半。
◎横浜出発
明治16年4月10日 晴 朝来 社務繁。鈴木尊父カネ来る。出立の用意を為す。別杯
を酌み5時出立、諸君送りて波止場に至る、小舟に乗り本船に至る。潜然回顧する幾回、
6時出帆、夜半雨至る。風あれども船大にして船中静を覚ゆ、10時眠りに就く。
◎カネからのラブレター
明治16年4月11日 雨 甲板に至り散歩す、精神爽然たり。日記を記せんと欲して
カバンを開く、一紙片あり、見ればすなわち愛妻の書したる詩なり。読んで離情を発する
切なり。朝飯を為す。12時岩城路に入る、天晴れ風静かなり。10時萩浜に着港す。
(12日上陸する者あり、生は上陸せず。この日終に滞船する34時間なり。10時金
華山の下を走る。高山雪を見る。14日函館港に安着。入湯、依田君と共に帆船会社に
至り大津行き船を問い合わす、近日出帆の日光丸あると聞き帰る。晩酌して臥す)
◎襟裳岬沖の遭難
明治16年4月18日 朝日光丸出帆すと報ず、よって用意を為す。前9時乗船、9時半
出帆、順風 夜12時恵山に至る風止む。19日風止み船進まず。ようやく恵山より20
マイルに達す。風東に転ず、進む能わず、森港に向かって戻る。20日 霧 前2時風止
む、船進まず湾の入り口に止まる。朝風来る、漸次東に向かう、逆風また帰る。終に後2
時森港に碇泊す。船中頗る狭溢、諸君大いに困す。21日 雨 十勝鈴木(銃)氏に出状。
終日無事に苦しむ。22日 晴 風西に変ず 6時半乗船、6時50分出帆す。(1日2
夜森港に止まる)4月23日 晴 風南に変ず、後全く止む。時に様似の南20里にあり、
晩来風少しく出す、また止む。今日旧3月17日に当たる 月明好し。
2月24日 晴 風無く船進まず、後2時より逆風少しく出す。南に当たり帆走船2艘を
見る。同4時東南風起こり霧深く起こる。幌泉に上陸する者あり、岸に寄りアンコル(碇)
を下ろさんとする時、風西風となり、船を岸に打ち上げんとする勢いあり、よってアンコ
ル3を投す。ますます風勢強く陸に打ち上げんとし、風に任せて東に行かんすれば襟裳岬
に打ち上げんとし、行かざれば後ろの岸に打ち上げんとし、進退これ窮まって船長初め一
同水夫考え尽き、碇泊するも人命を失い、進むも人命を失う。しかれども進めば万に一、
岬を廻る事を得べし。然れば一時の難をのがれるべしと アンコルを切る、帆をあぐ、船
矢よりも早く、幸いに岬をかわして進む。しかれども風ますます怒りて船転せんと欲し、
船中荷物転じ、波は甲板に上がり、キャビンより荷積み所まで水入り、一同ただただ死を
待てり。されども襟裳岬を回りて風力 山の為め大いに減じ、終に夜12時サルル前に碇
泊するを得たり。実に船長初め乗り込みの一同、九死に一生を得 喜び合えり。生はこの
間「アルマイチーゴッド、我等を助け賜え」と心に於いて呼びたり。この船に他の船長を
水夫6名乗りおり、彼らの尽力にて助かることを得たり。これ神 我等を助けるため、彼
を乗らしめたると思う。
◎アイヌの人との親睦会
明治16年6月3日 晴 今日当村土人と親睦の会を開く。すなわちオテナモチャラクの
家を借りて土人を集め酒を与え、モチャラクもまた手製の酒を生等に進む。また本日、移
住人一同依田(勉三)君の饗応に与る、道中の事などを互いに語り合い、興を尽くして終
わる。
◎カネ、親長、文三郎帯広着
明治16年10月17日 霧深くして四方暗し 木挽き。後3時半 鈴木親長君、依田文
三郎、於兼(カネ)内地より着、夜共に食し且つ談じ、互いの不斜(無事)を喜ぶ。
◎カネの子弟教育
明治16年10月29日 晴風 木挽き。今夕より金蔵、広吉、アイランケ等来て書を学
ぶ。カネ教授す。

@自己紹介にかえて AーA.伊豆人の性質 AーB.松崎町が多くの偉人を出すのは?
B勉三って、どんなひと
  Bー翁と私の出会い
  Bー
A.略歴年表  

  BーB.生い立ち
  BーC.十勝開拓への使命感

BーD.苦難の道
BーE.水田所の宴(晩成社は成功者?)
C 結論として
    皆さんへのメッセージ
D付録、松崎町・下田北高にある関係写真  勝の日記抄 BーF.こぼれ話序文   こぼれ話6話 FG
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